今年2022年4月に「育児・介護休業法」が改正され、従業員が仕事と家庭生活を無理なく両立できるように、企業にはよりいっそうの努力が求められるようになった。しかし実際のところ、 “両立支援”がなかなか行き届かず、不満を持つ従業員も少なくない。ビジネスパーソンの心身の健康をサポートする産業医から見て、企業の“両立支援”の本質や課題はどこにあるのだろうか。大企業から中小企業まで、さまざまな総務・人事部との接点がある心療内科医・産業医の内田さやか先生(ビジョンデザインルーム株式会社・代表)に話を聞いた。(フリーライター 棚澤明子、ダイヤモンド社 人材開発編集部)
企業の “両立支援”に欠かせない存在の産業医
従業員50人以上の事業場*1 に設置が義務付けられている産業医*2 。労働者の安全確保と健康維持のために、専門的な立場からアドバイスを行う存在だが、その業務は、従業員の健康や休職・復職についての相談、健康診断結果のチェックや異常が見つかった場合の就業判定など、多岐にわたる。企業の利益と従業員の健康を両立させるための中立的な存在であり、近年は、企業の働き方改革や健康経営*3 、ダイバーシティ&インクルージョンの推進によっても、その役割がますます重要になっている。多業種の総務・人事部と接点を持つ内田先生はどのような姿勢で産業医の仕事に向き合っているのだろうか。
*1 労働安全衛生法では、同じ場所で相関連する組織的な作業ができる場所を「事業場」と定義している。たとえば、ひとつの企業における、東京と大阪のオフィスは別の事業場となる。
*2 「事業者は、常時50人以上の労働者を使用するに至った時から14日以内に産業医を選任する必要があります。また、産業医を選任した際は遅滞なく所轄労働基準監督署長に届け出る義務があります」(公益社団法人 東京都医師会ホームページより)。
*3 参考記事:「健康経営」の落とし穴は?企業が忘れてはいけない3つのポイント(HRオンライン)
内田 産業医にもさまざまなタイプの方がいますが、私は、「とにかく、健康! まずは、健康!」というように、企業勤めの皆さんに「健康であること」を押し付ける姿勢ではありません。それよりも、仕事における自己実現や、その人らしく働けることのお手伝いを重視しています。その中で、皆さん一人ひとりが健康を意識し、健康であることが仕事や生活のために欠かせないものと気づいてくれることもあります。また、企業側の視点に立って、従業員の皆さんの健康状態と事業部のミッションのバランスを考えることにしています。従業員へのヒアリングを通して仕事の現場を理解し、経営者や総務・人事担当者と一緒に課題解決したり、新たな制度を考えたりすることも、産業医の大きな役割だと思っています。
育児や介護のほか、自身の疾病治療といった私生活(家庭生活)と仕事の両立に困難を抱える人が増えている。両立の悩みは、総務・人事部や直属の上司への相談が一般的だが、産業医の存在も欠かせない。常日頃、内田さんも、そうした多くの「声」に接している。
内田 たとえば、子育て中の女性から、「不意に涙が出て、止まらなくなった」「つい、子どもに手をあげそうになった」という告白を聞くこともあります。育児の有無にかかわらず、仕事のキャリアに関する悩みから心身の不調に陥ってしまう女性もいます。企業が掲げる“女性活躍推進”で管理職候補になったものの、意欲もそれほど湧かず、自信もない――女性管理職のロールモデルがスーパーウーマンなために「自分には無理」という思いでプレッシャーを感じ、メンタルダウンしてしまうケースもあります。また、仕事と家庭生活の両立のために一生懸命にあれこれ努力しても報われず、もうダメだと「学習性無力感」と呼ばれる無気力状態に陥ってしまう方も見受けられます。
多かれ少なかれ、仕事と家庭生活の両立や自分自身のキャリア形成に悩むことは、誰にでもあるだろう。他者に相談することなく、悩みが解消していく場合と、休職や辞職につながるような心身の不調に至る場合があるが……。
内田 子育て中の女性であれば、育児のストレスがメンタル不調を生む要因には3つの側面があります。ひとつ目は、ストレスそのものの大きさです。お子さんが1人なのか複数人なのか、健康なのか病気なのか、といったこと、そのほかに抱えていることで、ストレスの程度は変わります。2つ目は、本人の性質です。ストレス対処が上手なのか、溜め込んでしまいがちなのか、遺伝的な素因があるのかどうか。3つ目は、周りの人たちのサポートの有無です。身内に相談できる人がいるか、上司がサポーティブか、地域にママ友などのつながりがあるか、などです。お話を聞いたうえで、その方のメンタル状態が次第に落ち着いていくレベルか、すぐに通院をすすめるレベルかを、産業医は専門的な視点から判断していきます。
内田さやか
心療内科医・内科医・産業医
ビジョンデザインルーム株式会社・代表
日本医科大学卒。東邦大学医療センター大森病院にて心身医学を学ぶ。医療の枠にとらわれず、一人ひとりが生き心地のよさを模索し、wellbeingに生きることを支援するため、病院外でのアプローチに関心を持ち、IT企業を中心とした複数企業での産業医活動やメンタルヘルスケアの啓蒙活動に尽力している。従業員の健康相談から、働きやすい職場づくりのための制度設計、従業員のヘルスリテラシー向上のための研修まで、幅広く企業支援をしている。働く世代が心身のコンディションを整える機会となるように、メンタルケアとボディスパを提供するSAHANA Retreat Clinicを表参道に開院した。