おまけに、オーナー一族の内輪もめや、労働争議が絶えず、会社近くの商店に買い物に行くと、「あんた、たいへんなところによく来たな。あんな会社におったら、嫁も来よらんで」と店主から同情される始末でした。
そのため、私たち同期入社の者は、入社したそばから、「こんな会社はイヤだ。もっといい会社があるはずだ」と、そんなことばかり考えるようになり、寄ると触ると愚痴をこぼし合っていました。
不況のさなか、恩師の紹介でやっと入れてもらった会社です。本来であれば、「ありがたい」と感謝し、会社の悪口などとても言えた義理ではないはずです。
それなのに、若く未熟な私は、紹介してくださった方への恩義を忘れ、また自分たちがまだなんの成果も上げていないにもかかわらず、不平不満だけは一人前以上に抱えていたわけです。
そして、入社して一年もたたないうちに、同期入社の者は次々に会社を辞めていきました。最後までオンボロ会社に残ることになってしまった私は、もう一人残った九州天草出身で京都大学出の俊才と相談して、自衛隊の幹部候補生学校の試験を受けることにしました。
結果は、二人とも合格。
ただ、入学するには戸籍抄本が必要ということなので、鹿児島の実家に送付を頼んだところ、待てど暮らせど送ってきません。結局、その同僚だけが幹部候補生学校に入学していきました。
実家から戸籍抄本が送られてこないのには訳がありました。