情報開示に最適化されたデータベースを作ること

 Works Human Intelligenceが昨年2021年5月に行った調査*3 において、人的資本に関する取り組み状況を経営層や人事部門担当者に尋ねたところ、「従業員満足度調査の導入」「従業員の自主的な学びを支援する制度」といった回答が目立った。伊藤さんは、今年2022年に同じ質問をした場合は、「タレントマネジメントツールの導入」という回答が増えるだろうと予測する。また、調査では「わからない」という回答も多く、人的資本に関する取り組みは、企業によってかなりの差があるようだ。

*3 株式会社 Works Human Intelligence 「人的資本」に関する意識調査 調査期間:2021年5月7日~5月10日 調査対象:500名以上の経営者・役員または人事・教育部門の 1075 名 調査方法:インターネットを利用したアンケート調査

伊藤 いまや上場企業だけでなく、中堅・中小企業を含めて、多くの企業では人的資本経営の流れに対応するように経営層から人事部門に指示が出ています。ところが人事部門の準備が十分できておらず、「何かしないといけないけれど、どこから手をつけたらいいか分からない」といった声を聞きます。私たちのところにも「どういうふうに進めればよいのだろうか?」といった人事部門からの問い合わせが急増しており、ディスカッションに加わってほしいという依頼もあります。

 そうした場合、私たちは、まずは人事部門で人的資本に関してどのような会話がなされているのか、どのような情報をインプットしているのか、ナレッジの状況はどうか、などを確認するところから始めます。「人材版伊藤レポート」を読んだことがあるか、あるいはまた、政府が開示指針をとりまとめようとしていることを知っているか――ディスカッションの中でそうしたことを質問したり、現況を説明したりします。お話しする相手が経営層や人事部門の役員クラスの場合には、統合報告書では人的資本に関するどういった情報を出していくか、そのためにはどういった情報を集めるかといった経営視点でのお考えを伺います。

 企業によって取り組みのレベルにかなりの差があるのは事実です。大まかな傾向として、グローバルに事業展開し、外国人従業員も多い企業は危機意識が高く、数年前からすでに人的資本経営の強化に取り組み、情報開示も進んでいます。

 一方、国内での事業展開が中心の企業は、そもそも、「なぜ、人的資本の情報開示が求められているのか?」ということがピンときていない面があります。もちろん、女性活躍推進や健康経営のように法律などで一定のルールが決まると対応できるのですが、ルール化されるまでは「待ちの姿勢」や横並び意識が強いように感じます。

 理解の進んでいない経営層もまだ目立つ状況とはいえ、あらゆる企業において、人事部門の対応は待ったなしだ。実際にはどのようなスタンスで臨めばよいのだろうか。

伊藤 多くの企業の人事部門は、これまでに、従業員の離職率や定着率についてのデータを把握しているはずです。その延長線上に人的資本の情報開示もあります。ただ、そうしたデータが入っているシステムは、もともと、給与計算・人事評価・勤怠管理といった日常の業務オペレーションを回すためのものです。人的資本の情報開示のためには、まず、それぞれのシステムでばらばらに管理されているデータを一定のフォーマットに統一し、集約することが必要です。人的資本の情報開示に最適化されたデータベースを作っていくことも検討すべきでしょう。

 具体的な項目として離職率や定着率を挙げましたが、そのほか、女性活躍や従業員の健康に関するデータは法律によって公表が義務化されているものが多く、例えば、今年2022年7月からは、女性活躍推進法に基づき、労働者が301人以上の事業主に対しては男女の賃金差異などの公表が義務付けられています。また、育児・介護休業法の改正で2023年4月からは育児休業取得率の公表が義務化される予定です。

 これらのデータは「守り」の指標として他社と比較したり、他社の事例を参考にしたり、人事部門の取り組みにおけるスタートラインに適しています。女性活躍に関していえば、厚生労働省の「女性の活躍推進企業データベース」には全国2万社以上が関連データを公表しており、そこで公表されているデータの項目自体が参考になりますし、実際にデータベースに登録してみるのもよいでしょう。

 女性活躍や従業員の健康の次に取り組みたいのが、人材育成関連です。ただ、年齢別・役職別などの基本的な研修は人事部門主導で行えることが多いですが、より実践的な人材育成は事業部門のニーズや経営方針を踏まえる必要があります。

 人材育成は、まさに、企業としてどう取り組むかというテーマであるとともに、各社の「攻め」の部分です。他社と横並びで「あれもこれも……」というよりも、自社の特徴を打ち出していくべきです。

 さらにその先にあるのがエンゲージメントです。社内調査の結果(エンゲージメントスコア)を統合報告書に記載する企業もでてきていますが、それはあくまで結果です。エンゲージメントスコアは、人的資本に関するさまざまな施策がどこまで浸透しているのか、どれくらい効果があったのかを図る目安であり、情報開示のためというよりもPDCAサイクルを回すために使うのがよいと思います。