フランシスコ・ザビエルが
鹿児島に上陸した理由

 またローマ教皇庁も事態を修復するために、トリエント公会議を開催しました。

 会議は1545年から1563年にかけて断続的に開かれます。

 この会議の結果、ローマ教会は、プロテスタントへの対抗策を強化しました。

 しかし同時に聖職者の腐敗や堕落に対しても、これを厳しく取り締まることを決定しています。

 また、信者からの誤解を招くような華美な服装や教会内部を飾り立てることも、自粛するよう申し合わせました。

 さらにこの会議において、ローマ教会の信者を獲得するために、新たな宗教的領土の拡大が検討されました。

 新大陸やアジアへの布教活動です。

 その結果、フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸することになったのです(1549)。

 結局、宗教改革によってヨーロッパでは、ローマ教会の勢力圏は減少しました。

 しかし、逆にそのことが新しい世界へ拡大する契機となり、ローマ教会が世界宗教に飛躍することにつながったのです。

『哲学と宗教全史』では、哲学者、宗教家が熱く生きた3000年を、出没年付きカラー人物相関図・系図で紹介しました。

 僕は系図が大好きなので、「対立」「友人」などの人間関係マップも盛り込んだ全3000年史を、1冊に凝縮してみました。

(本原稿は、15万部突破のベストセラー、出口治明著『哲学と宗教全史』からの抜粋です)