現在の苦しい自分の状況がすべてではなく…

 コロナ禍が学生たちに与えた影響は、学生たちが選ぶ卒業論文のテーマにも表れている。先日、「中間報告会」と称する会があり、学生たち個々人が取り組んでいる研究のプレゼンを行った。

 ある学生は、女子大学生がインスタグラムを用いて人間関係を形成することが多いことに注目し、女子大学生がどのようなコミュニケーションの形を欲しているのかというテーマを語っていた。別の学生は、好きなアイドルに入れ込む「推し」という行為が、孤独感に悩む若者の力になっているのではないかという仮説を述べていた。

 さらに、知的障がいのある青年たちとの間に芽生えた友情について語る学生もいた。この学生は、他者とのコミュニケーションが寸断された大学生活の中で、自分の存在意義に疑いを持つようになってしまっていたという。そんななか、大学の授業で半年にわたって知的障がいのある青年たちと共に学び合う経験をした。一緒に学んだ青年は、すぐに胸襟を開いて親密な感情を体いっぱいで表現してくれた。知的障がいのある青年との関係が深まるにつれ、この学生は自信を取り戻し、「救われた」と感じるようになると同時に、自分自身の他者とのコミュニケーションのとり方に関心を向けるようになっていった。

 コロナ禍の孤独から回復していく過程で、自分に力を与えてくれたものを描き出そうとしている学生の姿――それが、卒業論文のテーマや動機を聞く私には印象的だった。なかでも、他者の存在が学生たちに力を与えているように思った。「自分が何者であるのか?」ということに関心が向きやすい青年期には、さまざまな他者との出会いが、自分の可能性を自覚させてくれるきっかけになるのだろう。自分の体験とは異なる世界があることを示してくれる他者の存在は、現在の苦しい自分の状況がすべてではないことを教えてくれる。

 思い返せば、2019年度から2021年度の卒業生は、まともに卒業を祝ってあげる機会さえなかった。晴れ姿の学生たちと短時間のお別れの時間をつくるのが精いっぱいだった。そして、2020年度、2021年度の卒業生は、卒業論文や修士論文で苦労をした世代でもあった。特に私の研究室は、フィールドで体験したり、人の話を聞いたりすることが欠かせない研究を中心に行っているため、せっかく良い研究テーマがみつかっても、思うように研究を進めることができないという学生が多かった。

 それぞれの学年が、異なる形で成長の機会を奪われてきている。卒業してしまった学生たちに対しては、大学教員としてできることはほとんどないが、卒業後のそれぞれの場所で、いろいろな人たちとの出会いがもたらす“満たされた経験”をしていることを願う。