常時警官に見張られ、また被収容者同士も相互監視を強いられた。寝るときは、同じ部屋の3分の1の15人ほどが起きて、残りの被収容者の寝ている様子を監視させられた。拷問に慣れ、痛みも感じなくなり、このまま死ぬのだと、絶望していたという。

生還するも80歳の父親が
収容所内で死亡
オムルへの報復のための虐待死か?

 オムルが生きてこの施設を出ることができたのは、オムルがカザフスタン国籍をもつ社会的地位のある人間であったことが大きい。中国当局に拘束されたと聞き、カザフスタンに残されていた妻は国連人権委員会へ手紙を書いて救いを求めた。親戚もカザフスタン大使館を通じてカザフスタン外務省に訴え続けた。人権NGOやメディアも動き、ついに2017年11月4日、オムルは釈放された。釈放されたとき、自分が収容されていた場所が「カラマイ市職業技能教育研修センター」であることを初めて知った。

 オムルは自由の身になったが、トルファンにいた両親、親戚ら13人は強制収容されてしまった。2018年9月18日、収容所内で80歳の父親が死亡した。死因は不明だが、ウイグル問題を国際社会で告発し続けるオムルへの報復のための虐待死が疑われている。オムル自身、いまも日常的に命の危険を感じて、一人で出歩かないようにしている、という。だが、自分やいまだ囚われの身の家族の命を懸けても、いまウイグルで起きていることを世界に告発していく強い意志を持ち続けている。