どこに連れてこられたのかは分からない。「最初に血液と臓器適合の検査を受けた。自分の臓器が中国人の移植用に使われるのかと思い恐怖を感じた」とオムルは振り返る。その後、4日にわたり、激しい尋問を受けた。「お前はテロリストを手伝っただろう?」「新疆独立運動に加担したな」「テロリストの主張を擁護したな」……答えないと、警棒で脚や腕を傷跡が残るほど殴られた。だが、拷問に屈して「はい」と答えてしまえばテロリストとして処刑されると思い、必死で耐えた。「私はカザフスタン国民だ。大使館に連絡を取ってくれ」「弁護士を呼んでくれ」と要求しても、無視された。他のウイグル人が拷問を受ける姿も目の当たりにした。両手を吊るされて、汚水タンクに首まで浸けられて尋問されていた。

 寒い夜中、水を掛けられて生きたまま凍えさせる拷問も見た。同じ部屋に収容されていた2人が拷問により衰弱死した。1人は血尿を出しても医者を呼んでもらえず、放置された。

「ウイグル人に生まれてすみません」
狭い部屋に約50人、連日の洗脳

 尋問のあとは、洗脳だった。いわゆる「再教育施設」に収容され、獣のように鎖でつながれた状態で3カ月を過ごした。小さな採光窓があるだけの12平方メートルほどの狭い部屋に、約50人が詰め込まれた。弁護士、教師といった知識人もいれば、15歳の少年も80歳の老人もいた。カザフ人やウズベク人、キルギス人もいたが、ほとんどがウイグル人。食事もトイレも就寝も“再教育”も、その狭く不衛生な部屋で行われた。午前3時半に叩き起こされ、深夜零時過ぎまで、再教育という名の洗脳が行われる。早朝から1時間半にわたって革命歌を歌わされ、食事前には「党に感謝、国家に感謝、習近平主席に感謝」と大声でいわされた。

 さらに、被収容者同士の批判や自己批判を強要される批判大会。「ウイグル人に生まれてすみません。ムスリムで不幸です」と反省させられ、「私の人生があるのは党のおかげ」「何から何まで党に与えられました」と繰り返す。

「『私はカザフ人でもウイグル人でもありません、党の下僕です』。そう何度も唱えさせられるのです。声が小さかったり、決められたスローガンを暗唱できなかったり、革命歌を間違えると真っ暗な独房に24時間入れられたり、鉄の拷問椅子に24時間鎖でつながれるなどの罰を受けました」と当時の恐怖を訴える。

 さらに、得体の知れない薬物を飲むように強要された。オムルは実験薬だと思い、飲むふりだけをして捨てた。飲んだ者は、ひどい下痢をしたり昏倒したりした。食事に豚肉を混ぜられることもあった。食べないと拷問を受けた。そうした生活が8カ月続いた。115㎏あったオムルの体重は60㎏にまで減っていた。

「同じ部屋に収容されていた人のなかから毎週4、5人が呼び出されて、二度と戻ってきませんでした。代わりに新しい人たちが入ってきます。出て行った人たちはどうなったのか」