ここで、現実の資本をリアルに眺めると、注目すべき二つのことが言える。

 一つ目は、資本は主に金持ちのお金であって、それ自体に成長しなければならないという意志や運動法則はないということだ。有利な投資機会があれば再投資してもうけようとするし、そうでなければお金持ちは資本を消費してしまう。資本を引き出す方法は、自社株買いや配当など複数ある。これは現に米国などで活発に行われていることで、これ自体は良くも悪くもない。

 ちなみに、資本の大きさは調節可能なので、この仕組み全体は低成長やマイナス成長とも普通に両立し得る。

 例えば、環境問題と経済システムを両立させようとする場合、環境にプラスになる投資の収益を上げ、マイナスになる投資の収益を下げることが、合理的な調整方法だろう。「資本」を巡るシステムを捨てる必要はないし、捨てると著しく非効率的だ。

今や油断すると
「資本家もカモ」に

 もう一つの注目すべき現実は、資本家の財産たる資本が、ある種の目端の利く労働者によって搾取の対象になり始めていることだ。【労働者タイプB】の登場だ。彼らは、「自分がいなければ成立しない技術」(技術者)、「高度な組織の経営」(CEO〈最高経営責任者〉)、「高度な財務技術」(CFO〈最高財務責任者〉)など、【資本家】には簡単に理解できないいわば「ブラックボックス」を設定して、会社経営を質にとって自社株やストックオプションなどの形で資本を食い物にする。

 資本家の側は目下、企業の株価を上げてもうけてくれるなら【労働者タイプB】に報酬を払ってもいいと思う傾向にあるが、過剰に有利な条件を取られがちだ。今や油断すると「資本家もカモ」なのである。

 このように「資本」の周りだけでも多様な現象が起こっている今日の状況を「○○資本主義」という言葉でくくることは無理だし、誤解の元だ。

 しかも、現実の経済には、【政府】「税金」「社会保障」【外国】といった無視することのできない多様なファクターがある。

「新しい資本主義」という言葉がくすんだ印象になって、魅力的に見えなくなった今日、岸田首相の「新しい資本主義」という言葉を正式に「オワコン」にするとともに、それ以後の経済システムの議論にあっても、「資本主義」という言葉をなるべく使わないように自制することが有益なのではないか。不便だが議論を正確にするには大いに役立つ。

「資本主義」という言葉は、これを使うことで、考えに具体的な中身がない人間でも、何かを考えたような気分になる危険な言葉だ。