家族形態を考える上で
重要な原則とは?

 では、どうするべきなのか。

 この問題を考える上で、何としても重要な原則は、家族形態や居住形態は、個々の国民が自由に(=国家に介入されずに)決めるべき問題だということだ。

 家族や住居は、個人の暮らし方の根幹に関わる問題なので、税制や社会保障制度などで特定の方向に誘導すべきではない。

 例えば、大家族の同居を前提とすると世帯数は減るから、一時的に大家族仕様の住宅に対するニーズが発生するかもしれないが、長期的には住宅費は節約されることになるだろう。これを政策で阻害してはならない。

 また、白物家電などを典型とする耐久消費財の需要も大家族化で減少するはずだが、それは消費者側での合理的な選択の結果なのであって、この点への介入も無用だ。

 家族制度の選択は、少子化対策や産業の振興などと分けて考えるべきだ。

 子供に対して給付金を配るなどの少子化対策は別個に行われてもいいが、かつて「標準家族」を優遇したような、特定の家族形態に対する優遇・誘導を税制や社会保障制度を通じて行うことは厳に慎むべきだろう。

 国民には、多少不経済でも核家族を選択する自由も、大家族を選択する自由もあるべきで、そこに制度上の損得を絡ませるべきではない。「暮らし方」を少子化対策など別の目的の手段としてはならない。

 その上でだが、世帯の「N」を大きくすることによる経済性には大いに魅力がある。単に「親子の同居」にとどまらない、合理的に暮らせる大家族の形態および住居について、提案し、ロールモデルとなる人物がいるといい。

 もっとも、「N」をいかにマネジメントするかは簡単ではない。世界にある各種の共同体家族でも、父親に権威があって兄弟が平等な家族形態もあれば、母方の住居において共同で生活する母系的なシステムもあるようだ。何らかの習慣を形成することが合理的なのかもしれない。

 われわれは、世界の別のシステムに学ぶべきなのかもしれないし、あるいは全く新しい仕組みを考えるべきなのかもしれない。

 合理的な住居と大人数のマネジメントの仕組みをセットで提案してくれる「生活の発明家」の登場に大いに期待したい。