「動乱の時代」は「世襲人」が否定される

 そう思うのは、東京大学史料編纂所教授の本郷和人氏が「世襲」について歴史的に考察をした『世襲の日本史 「階級社会」はいかに生まれたか』(NHK出版新書)を読んだことも大きい。

 日本の歴史の中で唯一、「世襲」を無くしたのは明治政府だったなどいろいろと勉強になる話が多い名著で、ぜひおすすめなのだが、筆者が特に共感をしたのは以下の記述だ。

<自らの生まれを超えて、頭角を現す人を「出頭人」と呼びます。江戸時代、こうした出頭人は否定されました。平和だったからです。平和な時代には世襲の原理がマッチします。生まれたときからすべてが決まっていれば、争うこともなく、万事穏やかにことが進むからです>

 これは裏を返せば、「動乱の時代」は「世襲人」が否定されるということだ。

 ビッグモーターの前副社長も、山田養蜂場の元専務も、人口が右肩上がり増えている「平和な時代」だったら、そこまでたたかれていないかもしれない。いや、祖父や父の真似をするだけで、それなりに評価されていたはずなので、そもそもあのような「暴走」をしなかったかもしれない。

 これから日本はどんどん「動乱の時代」になる。2025年になると、団塊の世代が75歳以上となり、医療介護や国・市町村財政のひっ迫が予測される。それに比例して生産年齢人口がガクンと減るので、人口増を前提とした「薄利多売」のビジネスモデルは大崩壊する。

 わかりやすいのは、かつてセブン-イレブンが「成長の柱」と言い切った「ドミナント戦略」だ。同一圏内に同じコンビニを次々と出店することで、地域内のロイヤリティを高めるというもので、同じコンビニが密集しているのはこれが理由だ。しかし、日本経済新聞が調査をしたところ、22年の大手コンビニ3社の新規出店数はピーク時の3割の水準だったという。

 われわれは祖父や父たちの世代が成功を収めたビジネスモデルを「全否定」しなくては生き残ることができない、「動乱の時代」に突入しているのだ。ということは、「世襲人」はかなり生きづらくなっていくので、「わいせつ専務」のように「暴走する世襲」も増えていくだろう。

 個人的に危ないと思うのは、ビッグモーターや山田養蜂場のように祖父や父のカリスマ性で事業を拡大した地方発の非上場企業だ。こういうところの2代目、3代目は、偉大な祖父や父と常に比べられるので、プレッシャーに押しつぶされ、自分を見失いがちだ。

 また、30代で役員などになるので、「カネ」と「力」を自由に使えて、地元では「殿様」のように持ち上げられる。そのくせ、非上場で外部のチェックが働かないし、「次期社長」なので誰も耳の痛いことは言わない。つまり、「裸の王様」になりやすいのだ。

「世襲不祥事」は日本経済における新たなトレンドになっていくかもしれない。

(ノンフィクションライター 窪田順生)