野原ひろしというキャラ
世相とリンクした価値観の提示
野原ひろしは35歳、商事会社の係長で、埼玉県春日部市に戸建ての家を持ち、専業主婦の妻と子2人と暮らしていて、いわゆる「平凡なサラリーマン」や「働くお父さんの典型」として描かれてきた。妻以外の女性に鼻の下を伸ばすなどの至らなさが人間くさく、しかしやる時はやる男として、また土壇場において家族を最優先で考えられるパパとして人気を集めてきたのであった。
今回の新作映画の内容は、20年以上前のしんちゃん映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!!オトナ帝国の逆襲』(2001年)と比較して語られることが多い。この作品から生み出されたひろしの名言には次のようなものがある。
「俺の人生はつまらなくなんかない。家族がいる幸せをアンタたちにも分けてあげたいくらいだぜ」
家族愛が込められたこのセリフは、野原ひろしというキャラを端的に物語っている。同作品公開の2001年(平成13年)当時の価値観のマジョリティーは、昭和から引き継がれてきた「仕事で成功すべし」や「男性の第一義は仕事、家族は二の次」といったものであり、ひろしはそこに向かって胸を張って「家族が最も大事」と異を唱えた。その主張がとんがっていたからこそ、ひろしは称賛され、人気となったわけである。
ただしその主張は超先進的というわけでもなく、「国民的映画に登場するキャラがそう主張し始めておかしくない程度の世相」、あるいは「受け手がその主張を肯定する程度の土壌」はすでに整っていた。
だから2001年あたりは、価値観が変わっていった過渡期と見ることもできる。マジョリティーが最重要視すべきだと考えているものが、「仕事」から「家族」へとシフトしていったわけである。
また、ひろしが人気を博したもうひとつの大きな理由は「彼が庶民だったから」である。庶民、すなわち富裕層などに比べれば「持たざる者」が、持っていない物や事に関して卑屈にならず、従来の価値観の圧に屈することなく「大切にすべきものを全力で大切にすべきじゃないか」と主張するさまが格好良く、また“庶民”という同じ目線から放たれた言葉が多くの人を共感させた。
ひろし、ならびに映画『クレしん』シリーズでほぼ共通したテーマとして扱われるのが「家族愛」や「家族の絆」である。元号のキリが良いので本稿では便宜的にそれらを「令和的価値観」と総称するが、近年、令和的価値観は必ずしも「家族愛が至上」一辺倒ではなくなってきていた。多様性が叫ばれ、家族形成に固執しないライフスタイルや幸せの求め方も一般的になってきた。
結婚のパートナーや子どもが欲しいけれど、それがかなわない人の苦しみや葛藤も、SNSのおかげで共有されている。そのおかげで、多数派の人でもそういう苦しみを身近に感じられるようになり、他人の痛みにより敏感になれている(なろうと思えばなれる)のが現代である。
さらに、格差などの問題がクローズアップされ、社会的弱者にスポットライトが当たりやすくなってきてもいる。全国の平均年収の低下もあって、「かつての平均年収を稼ぐのは今は難しい」と感じられている……これが令和である。
そんな中で野原ひろしが家族愛ばかりを叫び続けるともはや前時代的に映る可能性が出てきている状況で、今年の新作映画(以下『手巻き寿司』)が公開された。