「わかる」「いや、わからない」と感想が割れている宮﨑駿監督の最新作、『君たちはどう生きるか』。その評価が二極化する理由を考察する。(フリーライター 武藤弘樹)
宣伝をしないのが宣伝
宮﨑駿監督最新作が好調なスタート
本作から「崎」の字を「﨑(いわゆる<たつさき>)」に改めた、いわば大御所にして新生・宮﨑駿監督の最新作『君たちはどう生きるか』(監督・脚本・原作)が大変好調な滑り出しを見せている。「興行収入を初動4日間だけで比べると『千と千尋の神隠し』を超える記録」と東宝は発表しているそうで、数字を見ると文句なく「ヒット作品」と称していい数字をたたき出しているようである。
宮﨑駿監督作品としては『風立ちぬ』以来の10年ぶりとなる作品で、今作は宣伝がまったくされていないことで話題になっていた。予告映像すらなく、あるのはポスタービジュアル一枚のみで、公開まで視聴者たちの好奇心を刺激し続けたのであった。「宣伝をしないことでかえって宣伝とする」という、かようなウルトラCが可能なのも、宮﨑駿のカリスマたる威風であろう。
筆者はあまのじゃくを発揮して、あざとい戦略には乗るまいとそっぽを向いて踏ん張っていた。しかし、鑑賞した人たちが続々と内容や自分なりの解釈を語り始めて、しかも「作品への評価は星5か星1で、ニ極化している」などと聞いたものだから、いよいよ興味が抑えきれなくなった。一体それってどういうことなのかと、見て参ったわけである。
作品への解釈はプロ・アマ問わず、すでにたくさんの人が発表しているので、本稿では特に「評価が二極化したその理由」についてを分析していきたい。
作品の内容にはほぼ一切触れないつもりなので、作品のレビューを伝える記事としては結構ものすごい試みである。雲の形を言葉で伝えようとするような実現不可能な見通しの暗さがあるが、ともかくやっていきたい。