上司の承認を得たり、部下に仕事を進めてもらったり、お客様にお買い上げいただいたり……ビジネスにおいて「相手の理解を得て、相手に動いてもらう」ことは必須のスキルです。そこで、多くのビジネスパーソンは「理屈で説得しよう」と努力しますが、これが間違いのもと。
なぜなら、人は「理屈」では動かないからです。人を動かしているのは99.9999%「感情」。だから、相手の「理性」に訴えることよりも、相手の「潜在意識」に働きかけることによって、「この人は信頼できる」「この人を応援したい」「この人の力になりたい」という「感情」を持ってもらうことが大切。その「感情」さえもってもらえれば、自然と相手はこちらの意図を汲んで動いてくれます。この「潜在意識に働きかけて、相手を動かす力」を「影響力」というのです。
元プルデンシャル生命保険の営業マンだった金沢景敏さんは、膨大な対人コミュニケーションのなかで「影響力」の重要性に気づき、それを磨きあげることで「記録的な成績」を収めることに成功。本連載では、金沢さんの新刊『影響力の魔法』(ダイヤモンド社)から抜粋しながら、ゼロから「影響力」を生み出し、それを最大化する秘策をお伝えしてまいります。
自分の「目標達成」のために、
やってしまった「痛恨の失敗」
僕には痛恨の思い出があります。
いま思い出しても、情けなくて、心が苦しくなるのですが、僕が「影響力」について考えるうえで、どうしても避けることのできないエピソードなので、恥を忍んで書き記そうと思います。
あれは、プルデンシャル生命保険に営業マンとして転職して数ヶ月後のことでした。
入社当初は、”義理”で保険に入ってくれる知人がいたおかげで、それなりの成績を収めていましたが、数字は先細る一方。知人のよしみで保険に入ってくれた人たちも、強引な営業をする僕にその知人を紹介してくれることはほとんどなかったからです。そして、ついには、新たに営業をするために連絡をする「見込み客リスト」が尽きてきました。
「このまま行ったら、終わる……」
そんな危機感に苛まれていた頃に、決定的なことが起きました。
AthReebo(アスリーボ)株式会社 代表取締役
1979年大阪府生まれ。早稲田大学理工学部に入学後、実家の倒産を機に京都大学を再受験して合格。京都大学ではアメリカンフットボール部で活躍、卒業後はTBSに入社。スポーツ番組などのディレクターを経験した後、編成としてスポーツを担当。2012年よりプルデンシャル生命保険に転職。当初はお客様の「信頼」を勝ち得ることができず、苦しい時期を過ごしたが、そのなかで「影響力」の重要性を認識。相手を「理屈」で説き伏せるのではなく、相手の「潜在意識」に働きかけることで「感情」を味方につける「影響力」に磨きをかけていった。その結果、富裕層も含む広大な人的ネットワークの構築に成功し、自然に受注が集まるような「影響力」を発揮するに至った。そして、1年目で個人保険部門において全国の営業社員約3200人中1位に。全世界の生命保険営業職のトップ0.01%が認定されるMDRTの「Top of the Table(TOT)」に、わずか3年目にして到達。最終的には、TOTの基準の4倍以上の成績をあげ、個人の営業マンとして伝説的な数字をつくった。2020年10月、プルデンシャル生命保険を退職。人生トータルでアスリートの生涯価値を最大化し、新たな価値と収益を創出するAthReeboを起業。著書に『超★営業思考』『影響力の魔法』(ダイヤモンド社)。営業マンとして磨いた「思考法」や「ノウハウ」をもとに「営業研修プログラム」も開発し、多くの営業パーソンの成果に貢献している。また、レジェンドアスリートの「影響力」をフル活用して企業の業績向上に貢献し、レジェンドアスリートとともに未来のアスリートを育て、互いにサポートし合う相互支援の社会貢献プロジェクト「AthTAG」も展開している。■AthReebo(アスリーボ)株式会社 https://athreebo.jp
当時、僕は週に3件の契約をお預かりするというKPI(重要業績評価指標)を自発的に設定していたのですが、その週は、契約を2件しかお預かりできずに日曜日を迎えていました。「なんとか目標を達成しなければ……」と焦っていた僕は、TBS時代の後輩に連絡をしました。保険に入ってもらおうと思ったのです。
彼は、日曜日の夕方にもかかわらず、僕と喫茶店で会ってくれました。
そして、このとき僕は、「最低」のことをしてしまいました。あろうことか、先輩と後輩の関係性を背景に、強引に契約に持ち込もうとしてしまったのです。
「僕は、まだ保険に入るつもりないんですよね」とやんわりと断ろうとする後輩に対して、「保険に早く入ったほうがいい理由」などをまくしたてて、彼の考え方の誤りをロジカルに指摘しました。さらに、「契約するまで帰さない」と口にこそ出しませんでしたが、全身でプレッシャーをかけていました。僕はもともと頑丈な体格であるうえに、大学時代にはアメリカンフットボールで鍛え上げていましたから、後輩にはかなりの「圧」がかかったに違いありません。
そんな僕の相手をするのが、面倒臭くなったのでしょう。
彼は「諦め顔」でしぶしぶと契約書にサインしてくれました。
このとき、僕はおそらく満面の笑顔だったはずです。サインされた契約書を受け取りながら、「これでなんとかKPI達成や!」と内心でガッツポーズをしていたのですから……。