「人間」として拒絶されて、
自分を見つめ直すようになる
しかし、その報いは、すぐに訪れました。
翌日出社すると、僕はマネージャーに呼び出され、後輩が会社にクーリングオフを申し入れてきたことを伝えられました。愕然としました。マネージャーは多くを語りませんでしたが、「ライフプランナーとして、あってはならないことだ」と静かだけど決然とした口調で言いました。
もちろん、それもショックでした。しかし、それ以上にショックだったのは、謝罪をするために後輩に電話をすると、すでに「着信拒否」をされていたことです。何度かけても、二度と電話には出てくれませんでした。
要するに、僕は「人間」として拒絶されたということ。TBS時代にその後輩を可愛がっていたつもりで、ふたりの間には信頼関係があると思っていただけに、自分のしでかしたことに、打ちのめされるような思いがしました。
これが、僕にとっての「底打ち体験」だったように思います。
それまでにも、強引な営業で知人との人間関係が傷つく経験をしては落ち込んできましたが、そのたびに、「ドンマイ、気にするな。誰に何を言われようと、”保険屋”として生きるためには頑張るしかないんや」と自分に言い聞かせていました。しかし、いよいよそれもできなくなった。これ以上、人間関係を傷つけることに耐えられなくなり、自分を深く見つめ直すようになったのです。
「恐怖心」で人を動かすのは「偽物」の証拠
僕は先ほど、「影響力」について考えるうえで、このエピソードを避けることができないと書きました。
なぜ、避けることができないのか? 理由は簡単で、あのとき僕は後輩に対して「影響力」を使おうとしていたからです。しかも、根本的に間違った形で……。それは「偽物の影響力」と言ってもいいでしょう。この「偽物の影響力」を全否定するところから、僕は「影響力の魔法」を磨き始めたのです。
そもそも、あのとき僕はなぜ後輩を呼び出したのか?
当時、僕は「影響力」というものの存在を明確に意識はしていませんでしたが、TBS時代の先輩と後輩という「関係性」を背景にすれば、後輩に契約書にサインさせることができると考えたからにほかなりません。KPIに到達するために、最も「影響力」を及ぼしやすい相手を無意識的に選んでいたわけです。
TBS時代に、僕はその後輩を可愛がっていたつもりでしたし、仕事でもプライベートでもいろいろ世話をしてきたつもりです。だから、僕がわざわざ恩着せがましいことを口にするまでもなく、彼は僕の要請に応じなければならないという「義務感」のようなものを感じるに違いありません。
さらに言えば、体育会系の文化のなかで育ってきた僕は、上下関係には厳しくしていましたから、後輩である彼が先輩である僕に逆らうことに、「恐怖心」のようなものも感じるに違いありません。こうしたことを、明確に意識していたわけではありませんが、心の中で計算をしていたことは否定できません。
これも、「影響力」です。