本稿は、街を歩くのが好きな人、そして美術が好きな人へ向けて、パブリックアートに興味を持ってもらうために執筆した。本稿を読んだあとは、街中に無数のパブリックアートがあることを改めて実感できるはず。そして、街を歩くことが楽しくなってくるはずだ。より詳しい彫刻や公共空間の歴史は専門書もあるが、まずは、この本で、「タダで観られるけど、タダならぬアート=パブリックアート」の世界に足を踏み入れてほしい。

完成形が観られるのは運次第?
「私は太陽を待つ」レベッカ・ベルモア 1994年/ファーレ立川

 世界中にパブリックアートは数あれど、年にいちど、しかも晴天の日にしか完全な状態を見ることができない作品は他に例がないだろう。それはファーレ立川にある《私は太陽を待つ》カナダ先住民アニシナベの作家レベッカ・ベルモア(1960~)の作品だ。

写真:レベッカ・ベルモア《私は太陽を待つ》1994レベッカ・ベルモア《私は太陽を待つ》1994 Photo by Moyo Urashima

 本作品は、車止めと建物の2カ所に金属のプレートが設置されている。車止めのプレートにはカナダ先住民の言語アニシナベ語で、建物のプレートには日本語でそれぞれ「私は太陽を待つ」と刻まれている。車止めのプレートは太陽の光を反射し、建物へ向けてその光を投射させるのだが、毎年1回、夏至の正午のみ、この光が建物に取り付けられたプレートと重なり合うのだ。

写真:建物と車止め、2つの金属プレートで作品は構成されている建物と車止め、2つの金属プレートで作品は構成されている Photo by M.U.
写真:アニシナベ語の金属プレートアニシナベ語の金属プレート Photo by M.U.

 ベルモアはフランス系カナダ人として教育を受け、英語とフランス語を母語としている。しかし彼女の祖母はカナダの近代化を頑なに拒み、アニシナベ語だけで日常生活を続けている。このため、作家と祖母は言葉がまったく通じない。このことから作家は自分の民族的背景に興味関心を持ちはじめ、アニシナベの文化的要素を表現に取り入れた表現をはじめた。本作品もプレートの光が重なることでふたつの世界が重なり合い、響き合い、異なる世界がつながり合うことを示そうとしている。

 ただし、日本では夏至は梅雨の時期と重なるため、本作品がアーティストの狙いどおりの光の重なり合い方をするのは2~3年に1回程度の割合だという。筆者が訪れた夏至の日も、あいにくの薄曇りで光が重なり合う瞬間を見ることはかなわなかったが、作品の前には大勢の人が集まっており、街のなかで見慣れてしまい、ときには忘れられがちなパブリックアートとは対極をなしていた。