「自由時間の充実」が人生を大きく左右していく

 その音楽サークルは、「あんだんてKOBE」という名の、年に1回は大ホールを借りて演奏会をするサークルだ。このサークルのメンバーたちには知的障がいがあり、ミュージシャンや音楽療法士が活動を支援している。和泉さんは、メンバーの音楽性を発揮できる曲や構成を考え、J-POP、クラシック、ジャズ、ラップなど、さまざまなジャンルの音楽を提案する。

 OKANOさんは、この音楽サークルで「みんなと演奏する」ことが楽しくてしかたないようだった。演奏会では、OKANOさんのトランペット演奏にスポットライトが当たる曲を1~2曲入れてもらっている。その他の曲では、OKANOさんは打楽器を担当し、音楽の幅を広げている。

「あんだんてKOBE」での経験は、OKANOさんの音楽生活に活力を与えている。貪欲に新しい曲に挑戦するようになり、アドリブの吹き方も少しずつ覚えていった。先日あった「のびやかスペース あーち」の合宿で楽器を持ち寄り、私と一緒にジャズを吹いたのだが、OKANOさんは、突然、高音のアドリブの旋律を吹いて、私を驚かせた。OKANOさんは、「高い音を出すと、(トランペットの)先生に怒られるんだ」と、満面の笑みで得意そうに言った。

 いまや、OKANOさんと私との会話は、ほとんど音楽の話である。OKANOさんは、「渡辺貞夫に会ってきた」「小曽根真と話した」と、嘘だか本当だかわからない話も含めて、間断なくジャズの話を繰り返ししゃべりまくる。その話題の中に、「僕が吹ける曲はないかな」「『ニカズ・ドリーム』は難しいかな」と、新しく挑戦する曲の話題が入る。和泉さんの声がけで、OKANOさんを中心にしたバンドも結成された。「OKANO5」というバンド名だ。このバンドが動き出したら、OKANOさんの音楽人生は、和泉さんや私を巻き込んで、新しい段階に入るだろう。

 さて、こうしてOKANOさんの歩みを振り返ると、「自由時間の充実」がその人の人生を大きく左右することがわかる。OKANOさんの例でいえば、当人の私生活が充実するだけにとどまらず、コミュニティが広がり、周囲の人たちも巻き込んでいく。OKANOさんのトランペットについての私たちの意識も、「いい趣味を持っているね」というだけの捉え方から、「OKANOさんのトランペットをどう生かしていこうか」という捉え方に変化していった。また、OKANOさんの職場の管理者も、「OKANOさんは率先して働いてくれるリーダー的存在」と評することから、「自由時間の充実」が、仕事への活力を生み出すことも明らかだ。

 OKANOさんの「自由時間の充実」の出発点には、彼のジャズ好きがあった。夢中になれることの存在が、OKANOさんのウェルビーイングを高めている。トランペットやサックスのような楽器は、スキルと鍛錬が必要であり、「上手か下手か」がはっきりわかる。OKANOさんも私も、その点でいうと「下手ではないけど、上手でもない」レベルに違いない。けれども、OKANOさんのジャズ好きは、そのような「上手か下手か」という価値基準を脇に押しやる。トランペットが好きでたまらないOKANOさんの姿に魅力を感じて、周囲の人が反応するのである。

 実は、私がジャズバンドでサックス演奏を続けることができたのは、私をジャズ好きに育ててくれた恩人がいるからだ。中学校では吹奏楽部でクラリネットを吹き、高校で1年間だけサックスを吹いた私は、神戸大学に就職したとき、ジャズ好きの先輩教員に誘われてバンドに参加した。ピアニストのその先輩教員は、心理学者の吉田圭吾さんという。吉田さんは私に、さまざまな曲への挑戦と、人前で演奏する機会を与えてくれた。最初の数年は、ジャズのリズム感やコード感から程遠い「下手くそ」だった。けれども、吉田さんは「上手か下手か」の価値基準でメンバーを評価することは一切なかった。それから20年以上がたち、長く続けていくうちに、ジャズが私の身体の中に入ってきて、箸にも棒にもかからない「下手くそ」からは自然に脱していったように思う。

 私にとって、吉田さんが「上手か下手か」という価値基準を脇に押しやる防波堤の役割を果たしたように、OKANOさんの周囲の人たちも、OKANOさんの防波堤の役割を果たしているのだと思う。