会話って話の展開では欠かせない要素ですし、とりわけ1人ひとりの言葉をどう受け、話をつなぐかなどは書いて初めてその苦労がわかるものなんですね。

 僕は40代の頃、ノンフィクションの作品として『やすし・きよしの長い夏』(新潮社)を書き下ろしました。西川きよしさんの参院選出馬から当選を受けての横山やすしさん(1944~1996)の物言いと、それに対するきよしさんの受け方は、そのまま書けば面白おかしく流れるのですが、やすしさんとファンを称する人との間での会話は、口論から殴り合いになったりすることしばしばでしたから、互いの言葉をどうつなぐか苦労しました。

 会話表現の参考に、対談の名手とされ、人間心理の洞察にたけていた吉行淳之介氏の作品を中心に、ふだんの会話でも使えそうなやりとりを書き写して研究したほどです。たとえばこんなぐあいです。

・その声がそらぞらしく響く
・その声を聞き流すふりをしていた
・そういう一言の控えめな言い方が誇らしさを露骨に示していた
・軽くあなどる口調
・この答えはかえってAの神経にさわるなと気づいて、私は口を閉じた
・すこし唇をゆがめ、鼻の先がとがったような意地の悪い顔になって
・困ったような笑いを見せて
・その言葉を聞くと、気抜けした気分になった・冗談の口調だが、いくぶん本気のところが混じっている
・何気なくつぶやいて、その自分の言葉にうなずいた
・軽い反発の気配があった
・Aはその話題に執着した
・弱い声だが、底に強いものがある

 いや、こうして書き写していると、きりがありません。ともあれ会話にともなうさまざまな比喩的表現をマスターしておかないと、文章の展開に苦労するのは目に見えています。

 先に挙げたように、村上氏が会話の重要性を強調しているのは、そのやりとりに「反応が生まれる」からです。

 いずれにしても単なるたとえを超えた比喩とでも言えばいいのでしょうか、文章術、すなわち文章表現法を学ぶうえでは、会話をどういう言葉で表すかはぜひともマスターしたいテーマでしょうね。