世界中で目撃される
ドッペルゲンガー

 ドッペルゲンガー(Doppelganger)はドイツ語。doppelはdouble’ gangerはwalkerで、直訳すると「動きまわる、もう一人の自分」。何やらぞくぞく感が迫る。最初の使用例とされるのは、ドイツ人作家ジャン・パウルが18世紀末に発表した長編小説『ジーベンケース』で、平凡な弁護士ジーベンと、彼に生き写しの友人の物語だ。

 必ずしも本人が自分のドッペルゲンガーを見るとは限らず、他人から別の場所で自分を見たと言われることもある。この現象は世界中の言い伝えに残されており、一般的に肉体と霊魂が分離したものと考えられている。自分で見た場合は死の予兆との迷信も根強い。

 ドッペルゲンガーの日本語訳は「分身」、「生き写し」、「自己像幻視」、時に「生霊」と、微妙に意味が違う。

「分身」はまさに「身が分かれる」ので、もう一人の自分という存在を強く想起させる。「生き写し」だと、単に似ているだけ、双子の可能性も否めない。

「自己像幻視」に至っては、精神的な病との決めつけを感じる。実際、哲学者ヤスパースは、ドッペルゲンガーを意識の病態と捉えた。この世は全ては科学的に説明できると信じる者にとっては、何が起ころうと、「幽霊の正体見たり、枯れ尾花」となる。もっとも、自分がもう一人の自分を見たと証言する人たちの中には「病態」例も確実にあるだろう。面白いのは、二重人格者は女性に多いが、ドッペルゲンガーを主張する患者は男性に多い、という近代の研究結果だ。仮にこれが正しいとするなら、自己認識には男女差があるのかもしれない。

「生霊」は、生者の魂が体外へ抜け出ることを言う。多くは死に瀕した者がそうなると伝えられ、ここからもう一人の自分を見ると死が間近だと考えられるようになったのだろう。

 欧米におけるドッペルゲンガーについての記録は、19世紀半ば以降著しく増えている。それはオカルトや降霊術の大流行と重なり、またスティーヴンソンの『ジキル博士とハイド氏』を筆頭に、ドストエフスキー、ロレンス、ポー、ワイルドなどが小説に取り上げることで、ブームはいっそう盛り上がったのかもしれない。