楠木:「なんだ、こんな人だったんだ!」みたいなね(笑)。

尾原:今後、機会があれば、楠木さんと独立研究者、著作家などとして活動する山口周さんと話したいと思っているのが、ローレンス・レッシグ先生が語っていた「世の中をコントロールする力は4つある。それは、罰則・市場原理・アーキテクチャ・美学だ」ということについてです。

実は、この「美学」を産業的にどう育てるのかという話はあまり出ていなくて。自然には美学の外に出ないことを、どうすれば人ができるようになるのかは、これから重要になっていくテーマだとすごく思っています。

楠木:なるほど。「美学」に関する一般的な議論ですが、究極の美っていうのは自己犠牲なわけです。だからこそ、「明らかに損になることだけど、それをあえてやっている」や「明らかに得になることが目の前にあるのに、それに手を出さない」とか。そういう意味での自己犠牲が、基本的には美であるという。

そういうのが商売でもあると思います。そういうことがないと、自分以外の他者は、それを美しいと思わないんじゃないですかね。

尾原:そうですね。「あの人はAとBの選択肢で、みんながAと言うときも、Bの中に別の物差しを見つけたらBを選んでしまう生き物だ」と感じると、背中を任せられるという。そこを分解するということですね。

楠木:だから潔さとか、そういうことじゃないかなと思うんですよね。何かを「意識的に失っている」。

尾原:「意識的に失っている」ですね。意図的に何かを自己犠牲にすることを、自覚的にわかっていて、本人もそれを美しいと思えるようになると、共存共栄になりやすい。すごく解像度が上がりました。

楠木:いえいえ、こちらこそ。また別の機会にも、尾原さんとこういうプロセスエコノミーの話の続きをできたらと思います。