オーディション番組の人気などを背景に、韓国でK-POPアイドルを目指す若者は急増中だ。だがNOAが渡韓した2012年頃、韓国でK-POPアイドルを目指すという道は、今ほど理解されるものではなかった。そうした中、なぜ彼は韓国でアーティストとしてのスキルを身に付け、逆輸入というかたちで日本デビューしたのか。NOAの考えを聞いた。

キャリアの転機となった「BIGBANG」と「ONE OK ROCK」

──アーティストを目指すことになった、きっかけは何ですか。

5歳の頃に見た、映画「ハイスクール・ミュージカル」がきっかけです。そこから、音楽とダンスで表現するエンターテインメントに興味を持つようになりました。また、母親が音楽好きだったこともあり、物心ついたときからクラシックやジャズ、R&B、ヒッポホップなど、さまざまなジャンルの音楽を聴いていました。

本格的にアーティストを目指すようになったのは、テレビでBIGBANGさんのパフォーマンスを見たときです。テレビ越しながら衝撃を覚え、「自分もこの人たちのようになりたい」と思いました。それでK-POPの本場・韓国に行くことにしたんです。

渡韓した最初の月にYG ENTERTAINMENTのアーティストやタレントがよく通っている美容院に行ってみたら、BIGBANGさんを担当するヘアメイクさんに声をかけられて。その流れでオーディションを受けてみたら、合格しました。

それからYG ENTERTAINMENTの日本人初の練習生として、レッスンを受けていくことになりました。当時は1年くらい現地のスクールでレッスンを重ねてから、オーディションを受けようと思っていたので驚きました。

──韓国の練習生生活はハードだと聞いています。当時はどのようなスケジュールだったのでしょうか。

最初の頃はお昼にレッスンを受けて、すぐ家に帰っていました。ただ、練習生の生活も慣れてきた14〜15歳くらいからは、朝の11時頃から、(自主練習も含めて)終電の時間ぐらいまで練習していました。大体、0時半ごろまで練習してから帰る、という感じでしたね。

──練習生としてスキルを積んでいく中、いつ頃から「日本での音楽活動」に意識が向いていったのでしょうか。

大きなきっかけとなったのは、(4人組ロックバンド)ONE OK ROCKさんのソウルでのコンサートを見たときです。自分は最初K-POPアイドルを目指し、グループとして練習を積んできました。いろんなことを学ぶうちに、グループより1人で作詞作曲ができるソロアーティストになりたい、という思いがどんどん強くなっていきました。