暴言や暴力を振るう父親と
不安や愚痴ばかりの母親

 高戸さんの両親は、中学校時代の同級生だった。高校を卒業後、社会人になって数年後に再会して交際が始まり、20代半ばで結婚。20代後半で第一子である高戸さんを、2年後に妹を授かった。

「母は当時としては結婚も出産も遅かったらしく、『周りがどんどん結婚・出産しているのに自分がなかなかできず、焦っていた』と言っていました。地方公共団体の職員でしたが、寿退社して専業主婦になると、『あなたたちのために、私は仕事をせず専業主婦をしている』と言い聞かされました」

 母親は極度の心配症で、テレビや雑誌で病気のことを知る度に、「あんたがこんな病気になったらお母さんどうしよう!」と、まだかかってもいない病気に対する不安をぶつけた。

「私は母に“病気不安”をぶつけられ続けたせいで、子どもの頃から病気に対する不安で頭がいっぱいでした。40代になった今でも病気不安に苦しめられることがあります」

 高戸さんが物心ついた時、すでに両親の仲は悪く、母親は口を開けば“病気不安”や父親に関する愚痴、他人の悪口ばかり。しかもそれを聞かされるのはいつも長女の高戸さんだった。

 一方、メーカーに勤務する父親は、外面は良いが家の中ではすぐに不機嫌になり、家族を無視した。父親の不機嫌は一度始まると1週間ほど続き、“無視”は月に一度ほど発生していた。

「父は家族以外からは明るくいい人だと思われていたようですが、一度怒り出すと子ども相手でも平気で怒鳴り散らす人でした。ただ、無視は家族全員が対象ですが、怒鳴る相手は母と私だけ。そして殴る蹴るの暴行は私にだけ行いました。妹には甘く、暴言や暴力を振るう姿を見たことがありません」

 父親は高戸さんが3歳くらいの頃から、「生意気ばかり言うんじゃねえ!」「反抗ばかりしやがって!」「メソメソ泣くな!」と怒鳴ってはゲンコツやビンタをし始め、小学生になると同時に蹴られるようになった。

「明るく楽しい父であるときも少なくなかったのですが、いつ急変して怒り出し、キレたり無視されたり難癖をつけられるのかがわからず、家の中では常に神経を張り詰めていたように思います。まるで地雷と共に暮らすような感覚でした」

 高学年になって勉強が難しくなり、わからないところを父親にたずねたときには、突然怒り出して椅子ごと蹴り倒され、馬乗りになって殴られ続けた。

 その間、母親は黙って見ているだけ。それどころか「お父さんはアタシには絶対に暴力を振るわないのよ!」と謎のマウントを取ったり、父親に暴力を振るわれている高戸さんを見捨て、妹だけ連れて外に避難したこともあった。