皇子などはあいかわらず、親王とか王とか呼ばれていたが、鎌倉時代後期の両統迭立の時代になると、世襲親王家が登場し、江戸時代には、伏見、有栖川、桂、閑院の四宮家となり、皇統断絶に対する備えとなった。
世襲宮家の名は名字として機能しているのであって、「戸籍法上の氏」でないが「名字ではない」とはいえない。
また、浩宮徳仁さまといった場合の「浩宮」も、学校などでは名字と同じ扱いを受けていた。徳仁というお名前が、国際的には一般的なのはすでに書いた通りだし、国内では皇后陛下については雅子さまと通称されているから、これを使わないのはあまり論理的ではない。
上皇陛下のお子さまは、紀宮清子さまも「紀宮さま」と通称されていたが、敬宮愛子さまの場合は「愛子さま」と呼ばれている。両陛下が一般国民と同じような呼び方を好まれて使われ、それに上皇ご夫妻も追随され、マスコミもそれを尊重しているということのようだ。
ヨーロッパの王侯貴族の
姓は領地由来が原則
ヨーロッパでは、王侯貴族の姓に当たるものは、領地由来が原則だ。また、大貴族は多くの領地をもっているので、使い分けたりするが、そのあたりを、『英国王室と日本人: 華麗なるロイヤルファミリーの物語』(小学館)で書いたことをもとに紹介したい。
EUの女性委員長のフォン・デア・ライエン(Von der Leyen)とか、フランス元大統領のジスカール・デスタン(Giscard d’Estaing)などは、VONとかDE(フランス語のd’はdeの語尾音省略形)、英語のOFに当たる文字のあとに領地の名がついている。
フランス王家は他家を排除して世襲が確立したユーグ・カペーを始祖としてカペー(着ていた外套=がいとう=に由来したユーグのあだ名)家と呼ばれていたが、断絶して分家に移るたびヴァロワ、ブルボンを姓とし、現在のご本家はオルレアンであるが、称号はパリ伯爵兼フランス公である。スペイン王家は分家でブルボン(ボルボン)を姓としている。
オーストリア皇帝家はハプスブルク家だったが、マリア・テレジアがロレーヌ公フランソワと結婚した子孫なのでハプスブルク・ロートリンゲン家という複合姓になっている。