愛子さま秋篠宮さまの誕生日のあいさつをするため赤坂御用地に入られる天皇、皇后両陛下の長女、敬宮愛子さま=11月30日、東京都港区(代表撮影)  Photo:SANKEI

伊藤博文が公職者の名簿で
「越智宿禰博文」だったワケ

「皇室には姓がなく、日本のみならず世界でも特別の存在だ」という人がいる。だが、これはいろいろな意味で正しくない。

 まず、法律的に説明するなら、「戸籍法上の氏がない」だけだ。姓という法律用語はない。江戸時代の日本では、庶民で名字(苗字)を持つ人も持たない人もいたが、公的には使えないのが原則だった。

 明治になって、1870年に、平民も自由に使えるようになり(平民苗字許容令)、1872年に近代的な壬申戸籍が編纂されたときに、それまでの名字を氏として登録することになった。

 公職者の名簿でも最初は、三条実美が藤原朝臣、鍋島直正が源朝臣、伊藤博文が越智宿禰博文などと記されていたが、それぞれ姓から戸籍での氏の表記に変えられた。さらに、1875年に、全国民に氏の公称が義務づけられた。

 このときに、皇族は戸籍法の対象外だったので、戸籍法上の氏も名もない。

 ただし、「秋篠宮」とか「敬宮」などは名字ともいえる。たとえば学校では「秋篠宮悠仁クン」とか「敬宮愛子さん」と呼ばれているのだから、「皇族には名字がない」とは言い切れない。