伊藤博文が公職者の名簿で
「越智宿禰博文」だったワケ
「皇室には姓がなく、日本のみならず世界でも特別の存在だ」という人がいる。だが、これはいろいろな意味で正しくない。
まず、法律的に説明するなら、「戸籍法上の氏がない」だけだ。姓という法律用語はない。江戸時代の日本では、庶民で名字(苗字)を持つ人も持たない人もいたが、公的には使えないのが原則だった。
明治になって、1870年に、平民も自由に使えるようになり(平民苗字許容令)、1872年に近代的な壬申戸籍が編纂されたときに、それまでの名字を氏として登録することになった。
公職者の名簿でも最初は、三条実美が藤原朝臣、鍋島直正が源朝臣、伊藤博文が越智宿禰博文などと記されていたが、それぞれ姓から戸籍での氏の表記に変えられた。さらに、1875年に、全国民に氏の公称が義務づけられた。
このときに、皇族は戸籍法の対象外だったので、戸籍法上の氏も名もない。
ただし、「秋篠宮」とか「敬宮」などは名字ともいえる。たとえば学校では「秋篠宮悠仁クン」とか「敬宮愛子さん」と呼ばれているのだから、「皇族には名字がない」とは言い切れない。