「モンスターを倒した。これで一安心だ」

 妙子さんは20年以上前から夫と別居し、あかりと二人暮らし。あかりは幼少期から学業優秀で中高一貫の進学校に通っており、20代中盤まで母娘で一緒にお風呂に入るほどの濃密な母娘関係を築いていた。

 だがその間、実はあかりは常人の理解を超える執拗な干渉、暴言や拘束など、いわゆる“教育虐待”を母から長年受け続けていたのだ。

 超難関の国立大医学部への進学を強要されて医学部を9浪の末、母からの妥協案として医大の看護学科へ進学する。しかし母は、看護師よりさらに専門知識を要する助産師にさせようとあかりに助産師学校の受験を求めており、看護学科を卒業して手術室看護師になりたいとの希望を持っていたあかり自身は助産師学校の試験に失敗。それに気づいた母から激しい叱責を受けていた。

 あかりは、周到に用意した凶器で母親を刺殺した直後、「高揚感のようなものから」誰に見せるでも聞かせるでもなく、

「モンスターを倒した。これで一安心だ」

 とのツイートを残していたのである。

母を殺した娘と筆者との膨大な往復書簡

 守山署はあかりを死体遺棄容疑で逮捕後、死体損壊、さらに殺人容疑で逮捕・起訴に踏み切った。一審の大津地裁では死体損壊と遺棄については認めるも、あくまで殺人を否認していたあかりだが、二審の大阪高裁に陳述書を提出し、一転して自らの犯行を認める。

「母は私を心底憎んでいた。私も母をずっと憎んでいた。『お前みたいな奴、死ねば良いのに』と罵倒されては、『私はお前が死んだ後の人生を生きる』と心の中で呻いていた」「何より、誰も狂った母をどうもできなかった。いずれ、私か母のどちらかが死ななければ終わらなかったと現在でも確信している」(2020年11月5日、あかりの控訴審初公判における本人陳述書より)

 著者の齊藤は、あかりが逮捕・起訴された当時、共同通信社大阪支社で社会部の司法記者として働いていた。「大阪高裁の刑事の担当だったので、そのルーティンワークの一環でちょっと公判をのぞいてみるか、程度の気持ちで行ったんです。ところが被告が、一審と変わって控訴審の初公判で認否をひっくり返すということが起きた。認否を変えるという行為が珍しくて、この事件の内容を深く知ろうと思いました。最初にこの法廷に行ったときは、この事件がこんなに親子の確執をはらんでいるとは知りませんでした」。齊藤は静かに振り返る。