昨年から分かりきっていた「山上被告の模倣犯」
「山上徹也を英雄視したヤツらは反省しろ」――。
選挙応援中の岸田文雄首相に筒状の爆発物を投げて逮捕された木村隆二容疑者が、安倍晋三元首相を襲撃した山上徹也被告の「模倣犯」ではないかという議論が盛り上がっている。
木村容疑者は犯行前に国家賠償請求をしており、そこで現行の選挙制度への不満や、安倍元首相の国葬を「民主主義への挑戦」だと厳しく批判をしていた。そのほか、自分の弁護を「反自民」で知られる宇都宮健児弁護士に依頼するなど、現在の政治へ強い不満を抱きテロで変革を狙った可能性もある。
一方、山上被告は元首相を卑劣な方法で殺したにもかかわらず、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)による宗教2世問題の「被害者」という側面にフォーカスが当てられたことで、カンパが100万円以上集まって、減刑を求める署名が1万筆超も集まった。しかも、安倍元首相を「独裁者」「民主主義の敵」と叩いていた人たちからは、「不条理に立ち向かった悲劇のヒーロー」のような扱いをされて、映画や戦後日本を論じる書籍の題材にもなっている。
こういう「テロ犯だけど同情できる側面もある」という社会的評価が定着しつつある山上被告の姿にインスパイアされた木村容疑者が、「オレも山上被告のようにこの狂った社会を正すぞ」と犯行に及んだではないかというわけだ。
ただ、このような仮説を聞いても個人的には「何を今さら」という印象しかない。手前みそで恐縮だが、筆者は昨年9月の時点で『山上容疑者の銃弾で変わった日本は「とっくにテロに屈している」という現実』という記事を書いて、「これから日本には第二、第三の山上容疑者が増えていく」と警鐘を鳴らした。
なぜ増えていくのかというと、模倣だ、インスパイアだという上っ面の話ではなく、山上被告が、社会に不満を抱えている人や、世の中に絶望をして自暴自棄になっている人などが暗闇の中で探している「答え」を示してしまったことが大きい。