2024年は、何も考えずに「あけましておめでとう」と口にするのがはばかられるような、波乱の年明けとなってしまった。ただ、「一年の計は元旦にあり」と言われる通り、年初は1年の中でも特に重要な時期と考える人は多いだろう。今回は、そんな新年を「経営の神様」と呼ばれた稲盛和夫氏はどのように過ごしていたのかについて、ひもといていこう。(イトモス研究所所長 小倉健一)
稲盛和夫氏と永守重信氏の
新年の迎え方とは?
元日の午前中以外365日全て働く、1日16時間働く――。こんな鬼のようなハードワークをしていたのがニデック(旧日本電産)の創業者である永守重信CEO(最高経営責任者)だ。京セラの創業者である稲盛和夫氏を尊敬し、ロールモデルにして走り続けてきた人物でもある。
そんな永守氏も2018年には「今年は45年ぶりに正月三が日、一度も会社に来なかったよ」と「日経ビジネス」(18年4月2日号)の取材に答えている。「45年ぶりの正月休暇」だという。それまでの45年間、正月には「社員から年賀状をもらったら全員に必ず一筆書いて返事をしていた」という。
《従業員に対して「アホ」「死ねぇ」を連発してはばからない。だが従業員が多くなりすぎて、面と向かって怒鳴る機会が減り、「紙爆弾」にかえた。日曜日に出勤すると、五十通から百通の手紙をせっせと書いてファクスで送る。口は悪いが気配りは相当なもの。従業員やOBから来る年賀状にはすべて返事を出す。軽く千通を超す。「女房があて名書きして、ボクが一筆書く。息子がスタンプ係。正月三が日はこれでパー」》(日本経済新聞、1994年8月15日)
1994年の時点で1000通なのだから、会社の規模が大きくなった最近ではどこまでの多さになったのかと心配になる。絵に描いたような「昭和のモーレツ男」であろう。
むしろ気になったのは、元日の午前中しか休まない、というこの元日に、仕事の鬼である永守氏が何をしていたのかということだ。そこで今回調べてみたら、時間がかかったが、見つけることができた。
日経新聞電子版(12年1月4日)の永守氏自身の記述によるブログ「永守重信氏の経営者ブログ」にこんな記述があった。
《株式上場して以来、毎年欠かさず元旦の早朝に自宅で、畳一畳ぐらいの大紙に自ら墨をすって大筆を使って書き初めをするのが恒例の行事になっている。前年の一年を思い起こし、新年への思いを込めた言葉を考えてきたが、今年は「席巻」という2文字に決めた》
てっきり、お酒でも飲んでゆっくりしているのかと思ったら、そうではない。自宅で今年一年への思いを込めて、文字を書いていたのだ。私が経営者だったら、これは仕事時間にカウントするのではないかと思うが、永守氏にとってみたらそうではないようだ。
「一年の計は元旦にあり」という経営者も多いのではないか。学校や受験などは12月に締め日が来るわけではないのでちょっとズレるが、仕事を始めるに当たって何か教訓めいたメッセージを企業トップが発することは多い。
では、永守氏が尊敬してきた稲盛氏はどんな新年の迎え方をしていたのだろうか。京セラを稲盛氏と共に創業した青山政次氏が著した『心の京セラ二十年』(非売品)をひもといて、それを探っていこう。稲盛氏が創業して間もない頃の「京セラの新年」を描いた記述をご紹介したい。誤字脱字やふりがな、カッコ内の注釈を除き、基本的に原文ママだ。