ことばというものには、このように「表現の長さ」など、言外の意味も伴います。それが理由で、先ほど紹介した従兄弟のエピソードのように、すれ違いが起こってしまうこともあります。

 最近では、特にネット上でことばのすれ違いによるいざこざが増えています。言語学を学んだからといって、ことばによるすれ違いを確実に回避できるわけではありません。しかし、このような言外の意味も意識してみると、思わぬすれ違いを回避できるかもしれません。少なくとも、すれ違いの原因を理解して、同じことを繰り返さないように気を付けることはできそうですね。

「化学」=「ばけがく」
「市立」=「いちりつ」の意味

「花」と「鼻」とか「箸」と「橋」とか、なんで同じことばで違う意味があるんですか?(なつめ)

 まず、「花」と「鼻」や「箸」と「橋」がまったく同じ音かというと、そうではありません。 声の高さに注目すると、違いが見えてきます。まず「箸」と「橋」の違いを考えてみましょう。「箸」は声の高さが「高低」と変化し、「橋」は「低高」と変化します。この違いを「アクセントの違い」と呼びます。

 では、「花」と「鼻」はどうでしょう? 単語単体で発音すると、どちらも「低高」と変化しているようで、違いが聞こえないかもしれません。しかし、助詞の「が」をつけると「花が」は「低高低」、「鼻が」は「低高高」となって違いが聞こえてきます。 (ここで述べたことは、あくまで東京方言のパターンで、アクセントには方言差や個人差が顕著に現れます。読んでくださったみなさまには、アクセントの個人差に関しても寛容になってほしいと思います)

「花」と「鼻」のようにアクセントによって区別される単語もありますが、アクセントも含めてまったく同じ音なのに、違った意味になる単語のペアも存在します。「意思」と「医師」、「正確」と「性格」、「科学」と「化学」、「私立」と「市立」などがよい例です。このような同音異義語は、昔中国から借用した漢語に多く見られます。もともと中国語では別の発音だったのですが、無理矢理当時の日本語で表現しようとしたものの、中国語にあった区別が日本語ではなかったため、同音異義語になってしまったのです。

 では、曖昧な単語のペアがあるとコミュニケーションの観点から困らないのでしょうか? なつめが本当に聞きたかったことは、これなのではないかと思います。答えとしては、「多少の曖昧性で困ることはない」と言えるでしょう。なぜならば、人間はすべての単語を正確に聞き取らなくても、まわりの文脈やすでに持っている知識から推測する力を持っています。例えば、

「朝ご飯には、やっぱり、XXとお味噌汁♪」

という文を聞いて、XXの部分が聞こえなくても、「XX=ご飯」と推測できる人が多いでしょう。「ご飯とお味噌汁は一緒に食べる人が多い」ということを知っているからです。