「大変お手数をおかけして恐縮ですが、何卒どうぞよろしくお願い申し上げます」長~いメールに意味はある?写真はイメージです Photo:PIXTA

複雑で多様な表現を持っているからこそ、ちょっとした受け取りかたの違いによって、誤解やすれ違いをうむこともある日本語。小学生の純粋な質問を集めて行われた特別授業から、普段何気なく使っている日本語の疑問と新進気鋭の言語学者の答えを紹介する。※本稿は、川原繁人『なぜ、おかしの名前はパピプペポが多いのか? 言語学者、小学生の質問に本気で答える』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の一部を抜粋・編集したものです。

文章の長さで
丁寧度や親しみやすさの印象は変わる

なんで先生の名前を縮めて呼んだら失礼なんですか?

 省略形に関連して、小学生の時のこんな思い出がよみがえってきました。それまでは、和光の生徒たちは、先生たちのことを「XXせん」という二拍に縮めた愛称で呼んでいました。例えば、藤田先生だったら「ふじせん」ですね。ただ、全校集会で「この呼び名は失礼なので、やめましょう」という話になりました。

 当時は考えもしませんでしたが、言語学者になった現在、なぜ縮めた名前は失礼なのか考え直してみると、おもしろい説明を思いつきました。「発音する」ということは声を出して口を動かす必要があるので、それなりの労力を要します。縮めるということは、その労力を減らすということです。ですから、「名前を呼ぶ労力を惜しむ」ということが「失礼」と感じられるのでしょう。

 目上の人に挨拶する時に、立ち止まらないで(=労力を惜しんで)挨拶することが失礼と感じられることと似ています。逆に、縮めた愛称を使う時は、名前の短さで心理的な距離の近さを表現しているのでしょう。ポケモンの名前が長くなると強く(つまり、近寄りがたく)なる印象を受けることの裏返しで、名前が短くなると親しみが湧きます。

 関連する話として、会社で働く従兄弟からこんな愚痴を聞きました。曰く「最近の若者は、仕事の連絡の時にスタンプで返事をする。ちゃんと『わかりました、どうぞお願いします』くらい自分で打て」とのこと。若者からしてみれば、スタンプに「わかりました」と書いてあれば、それで必要なメッセージは伝わると思うのでしょう。メッセージの伝達「だけ」を考えれば、その考えは正しいです。

 しかし、先述した「発音することに労力がかかり、その労力を惜しむことを失礼と受け止める人がいる」ということを考えると、「メッセージを打つことに費やす労力を惜しむことは失礼だ」と思う人がいてもおかしくはありません。かくいう私も、今年のお正月の挨拶をスタンプで済ませることには抵抗を感じました。

 逆に、より長い表現を使うことで丁寧度が増すということもあります。次の例を考えてみましょう。

 ●よろしくお願いいたします。
 ●どうぞよろしくお願いいたします。
 ●何卒どうぞよろしくお願いいたします。
 ●お手数をおかけいたしますが、何卒どうぞよろしくお願いいたします。
 ●たいへんお手数をおかけして恐縮ですが、何卒どうぞよろしくお願い申しあげます。

 これらの表現は、すべて「お願い」をしているという点でコアになる部分の意味はまったく一緒ですが、表現が長くなるにつれ、丁寧度が増します。