もちろん、会社組織などの上下関係の中で上の価値観を押しつけられた場合はそれに従うしかないでしょう。組織は効率優先や経済優先など、同じ価値観を共有していなければ、仕事がスムーズに進みません。それが嫌ならば会社を辞めるしかありません。目上の人が目下の人に自分の成功体験、失敗体験から導き出した価値観を共有してもらいたいと思うのは、いわば“転ばぬ先の杖”で、仕方のないことです。その価値観はその人なりの自信と覚悟の表れなのです。

 一方、組織外の家庭などでは、自分の価値観を最優先にするしかないでしょう。

 家内はよく「あなたは自分が正しいと思っているでしょう」と言います。この時「お前だって、そうではないか」と家内を責めるオロカな真似はしません。結婚して20年経った頃には「そうかもしれない。今、鏡を見せるから、同じことをもう一度言ってみな」と言えるようになりました。価値観の違いからくる夫婦喧嘩の多くは、この程度のユーモアで回避できるものです。

 押しつけがましいことを言われたら、言葉の最初に「私は」、最後に「と思う」が省略されていると思いましょう。「(私は)一戸建てのほうがいい(と思う)」「(私は)犬のほうがいい(と思う)」「(私は)電車のほうが早くて楽だ(と思う)」という具合です。

 これで「なるほど、あなたはそう思うのですね」と上機嫌でいられます。

人からどう見られているかが気になる

 話をしている時に、自分がどんな人間なのかを言うことがあります。こちらがどういう人間かを理解して接してもらえれば、誤解される可能性は少なくなります。

「私ってすぐ悩んでしまうタイプなんです」「ものごとをあまり気にしないほうなんです」などの具体的なこともあれば、血液型を教える人もいます。

 他にも星座から、はては子守熊、ペガサス、こじかなどの「動物占い」まで、もはやどんな性格なのか見当がつかないことを言う人もいます。自分がどんな人間か知っているようですから、何年も自分探しをしてきたのでしょう。

 こうした自分の性格を「キャラ」と表現する人がいます。テレビに出る芸人たちが演出上の個性をキャラと呼び、一気に広まりましたが、これは個性や性格を表す英語「キャラクター」の省略で、劇や小説、マンガなどの登場人物、配役という意味もあります。人生を芝居に見立ててその役を演じているつもりの人もいるかもしれません。