また「知力」も大きな資源です。仕事でアクシデントがあり法的な問題が生じかねない場面では、法律の知識がある人とない人とでは「なんとなかる」と思える感覚に差が出るでしょう。

 人に聞いたり本を読んだりして「学ぶ」ことで、困難を乗り越えられることもあります。

 お金も「資源」のひとつです。突然、勤めている会社が倒産して職を失った場合、貯金が0円の場合は「どうしよう!」とパニックになりますが、1千万円の貯金があったとしたら、「しかたない。よし、自分に合う会社を見つけよう」と余裕をもてるのではないでしょうか。

 この処理可能感は、大きすぎず小さすぎず、バランスがとれた適度な課題を与えられクリアしていくことで得られる「成功体験」により高められるとされています。

 人脈や知力、お金などの資源を活用して、目の前の困難や課題をクリアしたことで身につくのが処理可能感なのです。

有意味感とは?

 最後は「有意味感」です。これは、「自分の身に起こるどんな出来事にも意味がある」と思える感覚、確信になります。

 例えば、仕事量も多く、きつい仕事をしているときに、「なんの意味があるのか」と思っている人と、「これはお客様のためになる意味のある仕事だ」と思っている人とでは、仕事への取り組み方や心のありように大きな違いが出てきます。

 あるいは、大きなピンチが起きたときに、「これを乗り越えたら、私は成長できる」と、それを「意味のあるもの」と思うことができれば、乗り越える力がわいてくるはずです。

「神様は乗り越えられる試練しか与えない」とはよく言われる言葉ですが、これに近いイメージかもしれません。目の前の試練には「意味がある」と確信する。この確信こそが、有意味感といっていいでしょう。

 この有意味感は、好ましい結果が得られたことに自分自身も参加・参与したという人生経験を通して高められるとされています。

「好ましい結果」とは、例えば、「職場でプレゼンがうまくいって大きな案件を受注した」などのよい結果です。

 その結果に対して、「プレゼンに自分の意見が採用された」「プレゼンの資料を作った」、あるいは「プレゼンで発表を担当した」など、人それぞれの役割ごとに「役に立った」という経験をもてれば、「有意味感」が高まっていくとされています。

 つまり、プレゼンの成功に貢献したという経験のなかで、「私のいる意味があった」「私もお役に立てた」と思える経験といえばいいでしょうか。

 こうした人生経験を通して培われるのが「有意味感」だといわれています。