これが明治21(1888)年、「桜」と題して東京音楽学校編纂の『箏曲集』に掲載されたのだ。これが五線譜による箏曲楽譜の最初期のものである。この際、「さくらさくら。弥生の空は。見わたす限り」という詩に改められたのだ。

 ほのぼのとした中に物悲しさを感じさせる優雅で哀調やるせないメロディーは、日本にとどまらず海外でも親しまれた。1904年初演のプッチーニ作曲、歌劇「マダム・バタフライ(蝶々夫人)」の第1幕の結婚式のシーンにこの曲が取り入れられたのだ。

 そのため欧米では、日本を代表する曲として知られるようになってゆく。一方、日本でも明るく歌いやすかったことから子どもたちの遊び唄にも転じ、わらべ唄のような形で愛唱されるようになった。

 なんとこの歌が、唱歌としてはじめて取り上げられるのは、昭和16(1941)年、尋常小学校が解体され国民学校となった年のことだ。唱歌集『うたのほん(下)』に「さくらさくら」として登場。

 その際、歌詞も変わった。「弥生の空は」の部分は、「野山も里も」となり、「においぞいずる」は、「朝日ににおう。さらに最後の、「いざやいざや、見にゆかん」は、「さくらさくら、花ざかり」である。

「においぞいずる」、「いざやいざや」などは日常で使わない難しい言葉であるという理由だった。ところが昭和22(1947)年、戦後初の国定教科書にこの歌が掲載されなかったのだ。

 しかしこの人気曲を放っておくわけもなく、民間の出版社が自由に選曲する教材が発行されるようになってからは、いつも掲載されるようになった。だがいずれの歌詞を選択するかという問題が起こる。

 その折衷案として1番を「野山も~」、2番を「弥生の空は~」とするものが多くなったのだ。後に文部省が小学2年生の必修教材に指定したときに、「野山も~」のほうを選んだが、さくらはやはり「弥生の空」のほうがお似合いとばかり、こちらも一向に忘れ去られずに歌い続けられた。

 だから今なおいずれの歌詞も健在なのだ。