さらに、そのニッチ市場をスーパーカブという新製品によって攻めつつ、生産台数を増やし、経験曲線効果によってコスト優位を得たという。

 成長性の高いニッチ市場を発見し、独自の製品でニッチ市場を独占し、シェアを増加させ、量産効果・規模の経済でコストを下げる。まさに経営戦略の教科書に出てきそうなお手本のような経営だったというわけである。

 実際に、ホンダの事例は当時のアメリカのビジネススクールのケーススタディに取り上げられることが多かったといわれる。

コンサルの説明は後知恵に過ぎない
試行錯誤の末にホンダは成功をつかんだ

 しかし、スタンフォード大学のリチャード・パスカル教授は、この説明に疑問を持った。そして、ホンダのアメリカ市場進出の責任者たちに対してあらためてインタビュー調査をおこなったのである。

 丹念な調査によって判明したのは、実はホンダのアメリカ市場進出の現場で起こっていたことは、BCG(ボストン・コンサルティング・グループ)による説明とは正反対という事実だった。

 ホンダのアメリカ市場進出計画は、実際には、「日本でバイクが売れるようになったのなら、次は本場アメリカに進出すべきだ」といった程度のものだった。ようするに明確な戦略目標はなかったという。

 ホンダが市場に投入した製品も、当初は主流の大型のバイクだった。しかし、大型のバイクはイギリス系バイクメーカーや、アメリカ企業であるハーレーダビッドソンなどに勝てず、次に投入した中型バイクもふるわなかった。

 そんな中にあって、ホンダの営業部隊が移動に使っていた小型の原付であるスーパーカブを売ってほしいという販売店が現れたのだ。

 ホンダの戦略はBCGの分析のように、事前合理的に緻密に組み立てられたものではなかった。

 しかし、一度小型バイク市場というニッチを発見してからは、ホンダはこのニッチ市場でのシェア獲得と市場そのものの拡大のために、次々と合理的な施策を打ち出したのである。