室町時代に“マロ”が
“マル”に変わった
このように人名に多く使われていた“マロ”ですが、平安時代になると、人名以外に用いられた例を見いだすことができます。たとえば、『枕草子』(1000年前後)「うへにさぶらふ御猫は」には、
蔵人忠隆なりなか参りたれば、「この翁丸(おきなまろ)うち調じて、犬島つかはせ、ただいま」と仰らるれば
(現代語訳:蔵人の忠隆となりなかが参上したので、「この翁丸を打って懲らしめて、犬島(宮中の犬を追放した場所)に追いやれ。今すぐ」とお命じになるので)
とあるように、「おきなまろ」という名前の犬が登場します。そのほか、名前に用いた例ではありませんが、平安時代末期の歌謡集『梁塵秘抄』(1179年頃)には、
茨小木の下にこそ、鼬が笛吹き猿舞で、稲子丸(いなごまろ)賞で拍子付く
(現代語訳:茨の小さな木の下で、イタチが笛を吹き、猿が舞を舞い、イナゴは心を引かれて、拍子を打つ)
と、“イナゴ”に“マロ”を付けた“イナゴマロ”という例が見られます。これは、“イナゴ”に“マロ”を付けることによって、親愛の情を表したものです。
室町時代頃には“マロ”は“マル”へと変化しました。このオ段音からウ段音へという変化は、アカトキ→アカツキ、アトラフ→アツラフなど類例を多くあげることができます。“マロ”から“マル”へと変化するとともに、“マル”は、おもに幼名に用いられるようになりました。『平治物語』(1220年頃か)に、
雪の中に捨てられて、「正清は候はぬか。金王丸(こんわうまる)はなきか。」と召けれどもなかりけり。
(現代語訳:雪の中に置去りにされ、「正清は控えていないのか。金王丸はいないのか。」とお呼びになったが、返事はなかった。)(下・頼朝青墓に下著の事)
とあるのがその例です。