マンガ『3月のライオン』を深読み「プロ棋士の主人公」が高校編入で手に入れたかったものは?写真はイメージです Photo:PIXTA

羽海野チカの傑作将棋漫画『3月のライオン』(白泉社/連載2007年~現在)では、主人公のプロ棋士が奇妙な立ち回りを見せる。親を失い、生きるために駒と向き合わざるをえなかった17歳が、わざわざ高校に編入するのだ。一見すると、マルクス的な「疎外」された歯車労働からの脱却だが、筆者によればさらに深読みができるという。※本稿は河野真太郎『はたらく物語: マンガ・アニメ・映画から「仕事」を考える8章』(笠間書院)の一部を抜粋・編集したものです。

フォーディズムが生んだ
「疎外」された労働者たち

 先の記事では、桐山零がなぜ高校に編入するのかという疑問が提示された。そして、普通予想される答えは、早くから棋士になってしまったことで失われた人生や青春、もしくは人間的成長のようなものを取り戻すためということになりそうだが、高橋君とのやりとりではそれを逆転させている、つまり、高校に行くことは彼の人生を取り戻すというよりは棋士としての完成のためだとされている点が指摘された。(編集部注)

 さて、ここで、話を早くするために、非常に重要な用語を導入する必要があります。それは「フォーディズム」と「ポストフォーディズム」です。こればかりは理解していただかないと前に進めないので、まずは基本的なところを説明します。

 フォーディズムという言葉は、自動車製造会社のフォード社から来ています。フォード社は1913年にベルトコンベアーの上に自動車を流して製造していく方式を発明しました。それによって、画一的な製品を短時間・低コストで作り、低価格で大量に売るという、大量生産・大量消費の体制を作りあげたのです。そのような生産方式のことをフォーディズムと言います。

 ここまでは分かりやすいでしょう。ですが私は、このフォーディズムは単にモノを生産する方式という以上の、私たちの社会を広く深く支配する(した)体制として扱っていきたいと思います。例えば、「働き方」の問題について言えば、フォーディズムはベルトコンベアーの前での黙々とした単純労働、労働者が生産のプロセス全体に関わることがなく、部分的な「歯車」になるような働き方を生んだと言えそうです。難しい言葉で言えば、それは「疎外された」労働です。

 疎外というのは自分が自分ではなくなることです。英語ではalienationですが、この言葉にはalien (地球外生物、外国人など)という言葉が入っていますね。「自分ではないもの」になることが疎外=alienationなのです。

 フォーディズムの労働者はベルトコンベアーの前で自分ではないもの(歯車)になる。しかし、彼(ここではあえて「彼」という代名詞を使います)には、「本来の自分」に戻る時間が与えられています。それは一日八時間の労働時間以外の時間であり、余暇の時間です。