羽海野チカによる将棋漫画の傑作として名高い『3月のライオン』(白泉社/連載2007年~現在)。親を失い、生きるためにプロ棋士にならざるをえなかった17歳を主人公とする物語だ。リアルの社会における「標準的な働き方」の変化を追う研究者である筆者にとって、プロ棋士という例外的な労働はおおいに興味深いのだという。本稿は、河野真太郎『はたらく物語: マンガ・アニメ・映画から「仕事」を考える8章』(笠間書院)の一部を抜粋・編集したものです。
プロ棋士として自立した
生活を営んでいる17歳
羽海野チカの漫画『3月のライオン』の主人公は桐山零。物語の始まりの時点で17歳です。幼い頃に交通事故で家族を失い、父の友人の棋士の幸田に引き取られ、そこで才能を開花させて15歳でプロの棋士となります。
才能を開花させるといっても、彼は幸田家の2人の実子たち(父に手ほどきを受けて棋士を目指しています)を将棋で蹴落とすということをしており、なかなかに壮絶な背景を持っています。彼には将棋以外に生きる方法が文字通り、ない。それゆえに、悪意からではなく幸田家の子供たちを追い落とすことになるのです。
物語が始まる前に彼は、幸田家の子供たちの香子らとの軋轢から幸田家を出て東京の下町の「六月町」で独り暮らしを始めており、またプロ棋士となるために進学しなかった高校に編入して、将棋しかなかった人生をやり直そうと(本当にそれが目的なのかどうかは、この後重要な論点となりますが)もがいています。ですが、当初は高校では友達もできず、1人で弁当を食べています。
そんな中、先輩棋士にお酒を無理やりに飲まされた零は、銀座でホステスをしている川本あかりに介抱されます。偶然にもあかりは零の住む六月町から橋を渡ったところにある三月町の和菓子屋「三日月堂」の長女でした。三日月堂は祖父の川本相米二(かわもとそめじ)が店主をしており、川本家の一家はあかりと次女のひなた(物語冒頭では中学2年生)、幼稚園児で三女のモモです。父は家族を捨てて姿を消しており、母は病死しています。あかりは一家の母の役割を務めつつ、伯母の美咲がママを務める銀座のスナックで週に何回か働いています。
そのような偶然の出会いの後、零は川本家との交流を深めていき、疑似家族のような関係を築いていきます。当然その関係には次第に変化が訪れますが。
以上が『3月のライオン』の基本設定です。
なんといってもまず印象的なのは、桐山零が17歳にしてプロ棋士として「自立」しているその様子でしょう。この漫画は決して、対局を中心として、例えば零がどんどん勝ち上がっていってラスボスを倒すような、少年マンガ的な仕立てにはなっていません。「将棋漫画」として読むとかなり異色、というか将棋漫画のつもりで読むと色々と肩透かしをくらうかもしれません。ですがその点こそがこの作品の魅力です。