というのも、起業物語は近年においてかなりの人気を博しており、数多く再生産されているように見えるのです。それらの起業物語は、新自由主義時代における独特の成長物語の型になっていると見なすべきでしょう。最近の作品でめぼしいものをいくつか見てみましょう。

『梨泰院クラス』。2020年に韓国で放映されたドラマシリーズです。主人公のパク・セロイは、高校の同級生で、外食産業ナンバーワンの長家グループの御曹司であるチャン・グンウォンの傍若無人が許せず、彼を殴って退学処分になります。セロイの父は長家に勤めているのですが、そのために解雇となり、さらにグンウォンが交通事故でセロイの父を殺します。グンウォンの事故はもみ消されますが、許せないセロイはグンウォンに暴力をふるい、刑務所に入ることになります。その7年後、出所したセロイはソウルの梨泰院に小さな居酒屋を開店し、いずれ長家を超える外食ナンバーワンになることを目指して奮闘していきます。

『銀の匙 Silver Spoon』。荒川弘の漫画です。2011年から2019年まで連載されました。これは北海道の農業高校を舞台とする異色の学園漫画です。主人公の八軒勇吾は札幌の私立中学に通っていましたが受験に失敗します。受験競争に敗れ、抑圧的な父から逃れる必要もあって、大蝦夷農業高等学校(エゾノー)に入学し、寮生活を始めます。それまでは勉強一筋で線の細かった八軒が、農業高校の独特の文化に触れてたくましく成長していく姿が描かれます。

 物語の後半は八軒たちの「起業」が軸となっていきます。豚を育ててそれをベーコンなどに加工した経験などから、八軒は彼が入った馬術部の3年生で就職に失敗した大川とともに起業をします。彼はずっと苦手としていた厳格な父に「出資」を交渉し、最終的に納得させて、学業をしつつ起業をしていきます。

起業による成長物語が
否定したものとは?

『水星の魔女』に加えて2つの近年の起業物語を紹介してみました。そこに見られる共通項は何でしょうか。それは、まずは起業が主人公たちの成長物語になっている、ということです。そして、その成長を成長として描くために、否定されていくものがあります。それは、『水星の魔女』であればミオリネの父が代表する、すでに確立された企業社会ですし、『梨泰院クラス』であればライバルとなる長家とその社長です。