結婚後の義家族との付き合いが、悩みのタネとなっている人は少なくないはず。義理とはいえ家族は家族。夫婦でいる限り、無理してでも付き合いを続けるべきなのか? 元NHKアナウンサーで作家の下重暁子氏が、結婚生活を振り返りながら、夫婦がストレスなく暮らすためのヒントを綴る。本稿は、下重暁子『結婚しても一人』(光文社新書)の一部を抜粋・編集したものです。
「自立」が試されるのは
一人より二人暮らし
「好きだから、人は相手に期待するのではないか?」と言った人がいる。
好きな人であっても、つれあいは他人である。私は他人には期待しない。期待しないからがっかりすることもないし、裏切られることもない。
期待するのは自由だが、その場合、裏切られても受け入れなければならない。
ただ、誤解のないように付け加えると、私のために何かをしてほしいという期待がないだけで、彼らしい道を歩んでほしいとは思っている。
結婚しようがしまいが、人間は「個」だ。
自立した個人が一人で暮らしたり、二人で暮らしたり、子を育てたりする。
一人暮らしは自立せざるを得ないが、二人暮らしをすると、相手に甘えたり、寄りかかってラクな道を選ぶことができる。
あるいは家族になると、父や母、夫や妻といった家族としての「役割」に、個人が埋没していくことがある。個人対個人ではなく、夫と妻、母と娘といった、役割のフィルターを通したコミュニケーションになっていく。
それが苦痛の人もいるだろうし、反対にラクと感じる人もいるだろう。いずれにしろ、役割に埋没すると、個人の考えや言葉が失われていく。
そういう意味で、本当の自立が試されるのは、二人以上の暮らしである。
結婚してなお自立した「個」でいられるか。
「個」の条件は、経済的にも精神的にも自立していることである。
男性に養ってもらうために結婚したいという女性がいてもいいし、実際にいると思うが、経済的自立がなければ、私の言う「個」でいることは成り立たない。個でいたいのであれば、結婚後も、女性は経済的自立を手放すべきではない。
ちなみに婚活中の女性の話によると、昨今の婚活市場(という言葉があるそうだ)では、男性は、専業主婦よりも、結婚後も働く女性を望むという。共働きを望むということだ。経済事情も影響しているだろうが、若者の価値観は確実に変化している。
共に暮らして「個」でいるということは、自分の主張を相手にぶつけ続けることではない。時に意見を言い合うことはあっても、自分とは別の環境で育ってきた価値観も習慣も異なる他人とは、所詮はわかり合えないと肝に銘じることが肝要だ。
わかり合えなくとも、思いやることはできる。結婚は心の寛容さを養うよき修業の場と心得たい。
家事はやらないと、言っていた私であったが、料理を作ったことはある。
たとえば、つれあいが病気になったときだ。外国生活のなかで、彼が体調を崩したことがあった。そういうときは私が看病をしたし、日本に戻ってきてからも、私が家事をほとんどやった。一番身近にいる人間としての務めだと思った。