一度会って話せば、どういう人かというのはおおよそわかる。いわゆる嫁姑、嫁舅的な揉め事は起きない人たちだろうということが窺えた。これは幸せなことだった。

 だが、たとえ私と義父母の相性が悪かったとしても、それを理由に結婚をやめることはなかっただろう。親と付き合わねばいいだけだからだ。付き合わないでいる方法など、いくらでもある。

 結婚相手の家族との関係に悩む人は今もいるようだが、親と結婚するわけではない。親に限らず、友人でも、人と無理に付き合う必要はないのだ。

 無理をして付き合っていると、相手も気づくものだ。かえってそれは失礼ではないか。

 我慢して人付き合いをするよりも、こちらが好んでいないことを言葉なり態度で示したほうがいい。そうすれば、相手もちゃんとこちらを嫌ってくれる。結果、付き合う必要はなくなるはずだ。

 ちなみに、先に紹介した相手の親戚や家族が好きだから結婚したという女性は、子を産んでのちに離婚したという。さまざまな条件も大事かもしれないが、結婚するときはやはり本人を見なければならないと私は思う。

結婚してもしなくても
「一人で生きる」

 結婚した翌年、私は『なぜ結婚にあこがれるか』という本を書いた。

 半世紀前のこの本をいま読み返すと、あきれるほどに自分は変わっていない。そのことに少し胸を張りたくなる。

 結婚しようがしまいが、「一人で生きる」ことが大事だと、 30代の私は説く。まさに、私が言い続けてきたことだ。

 たとえ結婚し、夫や子どもと暮らしても、一人で生きることに変わりはない。一人で生きるとは、その人のものの考え方、心の持ち方の問題である。世間は「家族」という単位で見るかもしれないが、一人ひとり違う人間であることは言うまでもない。

 私にとっての結婚とは、二人で生きることではない。一人で生きる独立した人間が、二人集まることなのだ。

 夫婦は「一心同体」だとか、家族は「運命共同体」だとか言う人もいるが、私には気持ち悪い。「偕老同穴(かいろうどうけつ)」も理解しがたい。無論、そういう結婚もあるのだろう。

 ある男性は、「自分のことを一番理解してくれる人と結婚した」と胸を張った。独りよがりではないかと私は感じるが、共に暮らす二人がそう了解し、満足しているなら、それでいいと思う。

 片方だけがそう思っていて、片方は異なることを思っていたり、不満が溜まっていたりすると、夫婦に亀裂が生じ、いつか破綻するかもしれない。

書影『結婚しても一人』(光文社新書)『結婚しても一人』(光文社新書)
下重暁子 著

 いずれにしろ、金子みすゞが言うように、夫婦は「みんなちがって、みんないい」 のだ。

 私はこれまでも一人で生きてきて、これからも一人で生きて死んでいく。

 そして一人で生きることは、夫婦で助け合ったり、相手に思いやりを持つことと何ら矛盾しない。

 一人の人間として互いが自立しているからこそ、必要なときに相手に手を差し伸べることができるし、対等の立場でいられるのだ。