個人的な“偏愛”を紐解けば
その人が持つ“衝動”が見えてくる

 以上から、偏愛と衝動のどんな関係が見えてくるでしょうか。見えにくい衝動と具体的な偏愛はどこかで通底している、ということまでは明言できます。このことを踏まえ、「偏愛は、衝動が具体的な活動の形をとったときの意欲につけられた名前だ」と規定することにしましょう。

 そうすると、衝動は、偏愛を丁寧に解釈することで把握できることになります。つまり、特殊で細かな個人的欲望である「偏愛」をほどほどに一般化すれば、自分の「衝動」がどんなものなのかを言い当てることができるわけです。衝動とは、解きほぐされた偏愛にほかなりません。