南米までわざわざ調査に行ったのに
本来の目的外の行動をしてしまう

 欲望の「深さ」とは、その実、欲望の「個人性」や「細かさ」のことだと言ってもいいくらいです。偏愛は、「料理が好き」「野球が好き」などといった雑な一般論よりもはるかに細かく特定化されたものへと向かっているのです。

 ローズとオーガスが偏愛の例として挙げているのも、〈クローゼットや引き出しの中を整理する〉〈道具を使い分けて木材のあらゆる凹凸がなくなるくらい完全な球へと磨き上げる〉〈様々な野鳥を見分ける〉などといった具体的で特定の好みに根ざしています。欲望や意欲を抽象的なエネルギーとみなすのではなく、特定の偏った仕方でしか発現を許さない「偏愛」として捉えるようにと2人は考えているわけです。

 ローズとオーガスが挙げている偏愛の事例を見てみましょう。例えば、生物を見分けて分類するのが好きだと考え、当初は、生物学の研究者になろうと考えていたアルバロ・ジャマリロという人物。

 彼は大学院の指導教員から助言を受け、ハキリアリを研究対象にしていたのですが、研究のためのフィールドワークで南米に行った折、実際にはアリよりも鳥に目を奪われていたことに気づくことになります。彼は「同じ生物でもよく移動し、色彩豊かで、見つけにくいものに惹かれ」ていたのです。

 自分の特殊な好みを読み解くことで、色彩豊かな動く鳥たちを追いかけることに楽しみを感じている自分を自覚したジャマリロは、大学院を辞して野鳥観察をベースにした生活へと移行する決断をします。顧客と鳥について語り合いながら、野鳥を観察するツアーを提供するアルバロズ・アドベンチャーズ社を設立したのです。

 ジャマリロは、〈ハキリアリを見るべきなのに、目が野鳥を追いかけてしまう〉という偏愛の経験を適切に解釈していく中で、自分の抱えている衝動を認識しました。色彩豊かな野鳥を実際の生息地で見つけて観察し、それについて語り合うことを楽しみたいという衝動です。特定化された個人的な好み(=偏愛)を適切に読み解いた結果、生物学者になるという道を諦め、これまで予想もしない、しかし自分に一層フィットしたキャリアを選べるようになったわけです。