「芸人」になった日

 疑問を持ちはじめると、日に日にその気持ちは大きくなっていって、僕の目は劇場の外の世界に向いていきました。水槽で飼われている魚が、広い海の話を聞いて憧れを抱いたようなイメージです。そのとき耳に入ったのが、今の事務所が主催している大学生のためのお笑い大会でした。

 出場するほとんどの大学生芸人は大学のお笑いサークルに所属していました。ハナコの岡部など、数々のコント芸人を輩出した早稲田大学のお笑いサークルや、法政大学のお笑いサークルなどがひしめき合う中、野良でお笑いをやっているのは僕ぐらいでした。

 まわりを見回すと、みんな和気藹々(あいあい)と楽しそうにお笑いをやっています。お笑いの世界は孤独で、苦しんで乗り越えるものだと思っていた僕は、こんなに楽しくやっていいんだ、というとてつもないカルチャーショックを受けたのを覚えています。高速道路から一般道路に降りたような、熱いサウナ室から外へ出たような、妙な安心感がありました。

 僕のネタは、先生のモノマネとあるある。会場ではなかなかのウケ。厳しい場所でのお笑い修行はなんだかんだ無駄ではなかったのです。存分に力を発揮できました。結果的には、審査員特別賞。審査員だったBOOMERの伊勢さんに「君は僕と同じ匂いがする」とコメントしていただきました。はじめてプロの芸人さんに褒めてもらい、忘れられない1日になりました。

 養成所には特待生という形で入ることができ、劇団から僕は飛び立ちました。その日の帰り道、ライブを観にきていた妻のゆかちゃんは満足げでした。その顔を見て僕も満足でした。

あばれる君が芸人として覚醒した超過酷ロケ「人は猛牛と闘わなければならないときがある」

芸人は猛牛と闘わなければならないときがある

 東北の雪国で寒さに耐えながら育ったおかげか、わりと我慢強いという自負があります。そんな僕でも逃げ出したくなったのが「元旦にアメリカで牛にぶつかる」という仕事でした。ゲートが開いたら猛牛が一直線に向かって来る。闘牛場の真ん中にいる僕は、バブルボールを被って待ち構え、その猛牛の突進を体で受け止める。そして、笑顔で立ち上がる。打ち合わせの内容はこんな感じでした。恐怖に震えながら、ロケ当日を迎えました。

 ガシャン。ツノが鉄とぶつかる音。離れていても風圧を感じる鼻息。でっかいアメリカ人2、3人を振り回しながら猛牛のおでましです。スタッフさんが「ツノに付けていたカメラを破壊された」と涙目になっていました。数人のアメリカ人が英語で怒鳴っています。なんて言っているんだろう。コーディネーターさんが日本語に訳してくれました。

「あの牛は今、アメリカでいちばん怒っているそうです。」