窓から見えた風景
「もう死ななくていいんだ」

 終わったと聞き、僕の頭に最初に去来したのが、「これで海兵に行けなくなった」だった。

 少年の頃の最大の目標が、音を立てて崩れ去った。お先真っ暗、僕は絶望的になった。とにかく下の従兄弟と同じように、海軍兵学校に入って、天皇陛下のために戦争に参加することが人生の唯一の正しい目標だったから。

 僕は1人になりたかった。祖母が暮らしていた離れの2階に行って、ただ、ひたすら泣いた。

 そして、いつの間にか寝ちゃった。泣き寝入りというやつだ。

 目が覚めたら世の中は夜になっていた。離れから母屋に戻って2階の窓から外を見て、びっくりした。前日の夜までは空襲対応の灯火管制で街が真っ暗だったのが、やたらと明るい。戦争が終わったから、街に電灯が煌々とついている。

 不思議なことだが、僕のなかにこれまでと違う感情が生まれた。

「もう死ななくていいんだ」

「海兵に行けなくなった」に、それが取って替わった。明るい街がこんなに美しいものだったことも改めて知らされた。絶望的になって寝たが、目が覚めてみたら明るい別の日本に変わっていた。とにかく解放された気になった。

 これが僕にとっての「日本のいちばん長い日」だった。

 そして2学期になり、また学校が始まった。そこで僕は大人たち、特に教師たちに最初の不信感を抱くことになった。終戦前と後で、言うことが180度ガラッと変わったからだ。

書影『全身ジャーナリスト』『全身ジャーナリスト』(集英社新書)
田原総一朗 著

 教師たちはこう言い始めたのだ。

「実はあの戦争は日本の侵略戦争だった。やってはいけない間違った悪の戦争だった」

「正しいのは英米であり、日本の指導者たちは皆間違えた」

 1学期までは国民の英雄として、新聞もラジオも褒めたたえていた人間が、2学期になって急に逮捕された。東條英機らA級戦犯だ。教師も周辺の大人たちも、躊躇なく彼らは逮捕されて当然であると言い立てた。

「君らは今後戦争が起きそうになったら、体を張って阻止しなさい」とまで言った。「10月になると占領軍がやってくる。占領体制になったらおとなしくした方がいい。間違っても抵抗しないように」とも諭された。