こんな歌だった。いまでも僕の口をついて出る。

 天皇陛下の御為に死ね(中略)
 敵を百千斬り斃す(中略)
 一発必中体当り(中略)
 敵の本土の空高く
 日の丸の旗立てるのだ

 しかし、現実の戦況は厳しくなる一方だった。

 僕の故郷・彦根にも空襲があった。近所に爆弾が2発落とされた。機銃掃射もあった。死者や負傷者が出て、僕の実家の前を運ばれていったのも覚えている。

 肉親にも戦死者が出た。従兄弟2人が亡くなった。年上の方はフィリピンのルソン島で戦死、僕が憧れていた年下の方は、海兵を出た後に海軍に入り、東北沖合で乗っていた船が機雷に抵触し亡くなった。

 こんな生活が一体いつまで続くのだろうと思っているうちに、8月15日がやってきた。

 学校は夏休み中だ。昼前から近所の大人たちが僕の家に集まってきた。昭和天皇のお言葉があるというので、うちのラジオで聞こうということだった。

 僕も一緒になって聞いた。聞きはしたが、正直言って、ノイズが多くて、よくわからない。言葉も難しい。とにかく、「堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び」とか、「敵は新たに残虐なる爆弾を使用し」とか、このあたりはわかるんだけど、全体で何を言いたいんだかはわからなかった。

 大人たちも同様だった。その解釈をめぐって議論を始めた。「堪えがたきを堪え」だから、本土決戦まで続けるんじゃないかと言う人もいたし、いや、わざわざ天皇が肉声で国民に伝えたということは戦争が終わるのではないかと解説する人もいて、意見がわかれた。勝ち派、負け派だ。

 そうこうしているうちに彦根市役所の職員がメガホンを持って巡回、論争に決着をつけてくれた。

「戦争が終わりました」

 こうはっきりと言った。負けたではなく、終わりました、と。つまり終戦というわけだ。