立川空軍基地は「詐欺師の実験台」だった!日本人が知らない異端児たちの戦後史写真はイメージです Photo:PIXTA

戦後日本は、詐欺師にとってはまさに天国。かつて世界最大の米軍基地だった「立川空軍基地」(現・立川飛行場)は、外国人野心家の登竜門だった。娯楽施設の揃った町を形成し、詐欺師が暗躍。合言葉は「まずアメリカ人をだましてみろ。日本人を“料理”して、たんまり儲けるのはそのあとだ」──本稿は、ロバート・ホワイティング著、松井みどり訳『新東京アウトサイダーズ』(角川新書)の一部を抜粋・編集したものです。

博士号を持つ日系アメリカ人よりも
素人の白人が語学講師として歓迎された時代

 日本の組織犯罪者たちは、人を信じやすい日本人の性格に、長い間つけこんできた。詐欺師は、疑うことを知らない年寄りに、長年、消息不明だった親戚のふりをして、助けを求めたり、役人のふりをして、何らかの罰金を要求したりして、銀行から金を引き出させる。

 悪辣な外国人たちは、こういう日本人の実態を知ると、小躍りする。普通の日本人でも人を信じやすいし、非アジア系外国人を前にすると、やけにうぶで純朴になる日本人もいる。詐欺師にとって、日本は天国なのだ。

 アメリカ人が日本に伝えたものの中で、インチキの最たるものは、語学学校だろう。この類の施設は、英語を学びたいという日本人の要求にこたえて、戦後に急増した。そこでは長い間、アイロンのかかった清潔なワイシャツ姿の講師が、じつは英語の読み書きもろくにできないハイスクール中退者、素性の怪しい流れ者や、詐欺師だったりする。

 この残念な事態の原因は、単純明快。

 占領が終わったとき、日本人は痛感したのだ。外国と交流するには、英語が不可欠だ、と。彼らが見たネイティヴ・スピーカーの大半は、白人だった。したがって英会話スクールの講師は、白人でなければならない、と思い込んだ。スタンフォード大学で博士号を取得した日系アメリカ人は、この国では英語講師の仕事にありつけない。英語が下手そうに見えるからだ。一方、金髪で肌の白いドイツ人やロシア人は、いくら訛りがひどくても採用される。

 日本がまだ混乱期にあり、規制が行き届かなかった1950年代には、とくにいろいろな詐欺師が徘徊した。ニセの宝石商やインチキ保険セールスマンなど。しかし大半は、ヴェトナム戦争が勃発したとたん、さっさとサイゴンに拠点を変えた。

23日間で24件の詐欺を
働くという離れワザを達成

 後釡として日本に登場したのは、別のタイプの、もっと高度な詐欺師だった。雨後のタケノコのごとく、みるみる成長を遂げる日本経済に、惹きつけられて。

 新手の詐欺師の中に、ドナルド・ズブリスキーというニューヨーカーがいた。ハーヴァード大学教授を名乗るこの男、日本滞在中に、記録的な額の不渡り小切手を乱発した。