バブル期にNYトランプタワー56階を即決買い占め、「街金融の帝王」の知られざる生涯「街金融の帝王」や「マムシ」と呼ばれることもあった、森下安道

森下安道は終戦から間もなく、愛知県から東京へ上り、一代で「街金融の帝王」となった。戦後のカオスから高度経済成長期、さらにバブル景気とその後の失われた30年を生きてきた。日本社会の表裏を知り尽くした「バブルの王様」の知られざる生涯をたどる。(ノンフィクション作家 森 功)
※本稿は森功『バブルの王様 森下安道 日本を操った地下金融』(小学館)から一部を抜粋し再編集したものです。

バブル紳士たちの頂点に君臨した「街金融の帝王」
取り立ての厳しい「マムシ」が鬼籍に入る

〈父森下安道儀一月十七日永眠致しました〉

 亡くなってから2週間も遅れてやって来た長男からの訃報だ。

 それが関係者に届き、やがてマスコミの知るところとなる。マスコミが森下の急逝を報じたのは、2021年3月になってからだ。4月17日号の『週刊現代』が次のように報じた。

〈「マムシが死んだ」。そんな一報が金融関係者の間に流れた。「マムシ」とは、バブル期に大手ノンバンク『アイチ』を率いた森下安道氏のことだ。

「森下氏は愛知県から身ひとつで上京し、自ら興した街金業者を大手ノンバンクにまで成長させた。その取り立ての厳しさから『マムシ』というあだ名がつきました。アイチの最盛期の貸付総額は1兆円を優に超えると言われました」(全国紙記者)

 森下氏は田園調布にベルサイユ宮殿風の豪邸を建て、自身が買収したゴルフ場に自家用ヘリで向かうなど……〉

 バブル、つまりアブクのような泡沫景気と揶揄(やゆ)されるようになったのは、のちのことだ。元号が平成に改まったばかりの1989年12月29日、日経平均株価が3万8915円という史上最高値を記録した。年明けに株価は間違いなく4万円を突破する──。株式市場が浮かれ、日本中が熱狂した年の瀬が、いわゆるバブル景気の頂点だった。

 それはある意味、日本が最も輝き、世界を驚かせた時期といえた。バブルの時代、一般大衆はもとより、専門家と称されるエコノミストや経済評論家でさえ、夢のような好景気がずっと続くと信じて疑わなかった。