就労環境ではなく、事業理念に惹かれての転職

 仕事のスキルを上げながら順風満帆に国内で働いていた東さんにとって、キャリアのターニングポイントになったのが結婚だった。パートナーが海外転勤を命じられたのだ。

 結婚のタイミングで夫がオーストラリアに海外赴任をすることが決まり、さんざん迷った挙句、上司や職場の仲間の「また戻ってくればいいよ」という一言に背中を押してもらい、リンクイベントプロデュースを退職し、シドニーに移住しました。約2年ほどの間で、現地の語学学校に通ったり、現地企業でインターンをさせてもらったり、そして、夫の任期が終わったタイミングで帰国してリンクアンドモチベーション(リンクイベントプロデュース)に復帰したのです。さらに5年ほど在籍した後で、夫が今度はベトナムに行くことになり、私は再び退職して、2度目の海外移住の道を選びました。いま、そのベトナムでの生活が2年半ほどになったところです。

 結婚時に自分の仕事を辞して海外へ。そして、海外から帰国し、国内の企業に再就職したものの、海外に再び移り住むことになって、仕事を辞めた東さん。出国・帰国に伴う退職・就職というめまぐるしい遍歴だが、現在在籍している日本の企業での就労は、最初から「海外生活ありき」だったという。

 会社(michinaru株式会社)に籍を置いたのが、ベトナムで暮らし始めた2022年の4月です。ホーチミンに住居を構えたままの入社でした。michinaruは、リンクイベントプロデュースで一緒に仕事をしていた先輩が立ち上げた会社です。リンクイベントプロデュースを退職後も海外から一時帰国した際は、キャリアの相談に乗ってもらったり、私が日本に戻ってからは、働く女性向けのワークショップを一緒に企画させてもらったりと、懇意にしてくださっていました。折に触れてご一緒させていただくなかで、ベトナムに移住を決めた際、「海外からでもOKだから、よかったら一緒に働かない?」と声をかけてくださったのです。ですから、 “海外リモートワーク”前提での就職でした。ベトナムと日本の時差が2時間ということもありましたが、入社の動機は、就労環境よりも、会社の理念や事業内容に強く共感したことにあります。成熟した日本社会や企業において、「これからHRが果たせる役割や価値とは何だろう」と考えていた時期でもありました。そんななかで、旧態依然、停滞感などとも形容される成熟企業の新規事業創造を人材育成(チェンジ・リーダーの育成)や組織開発(挑戦風土の醸成)といった側面から支援するmichinaruの事業に可能性を感じたのです。

 働きやすさ云々よりも、企業理念や事業内容に惹かれての“海外リモートワーク”のスタートでした。