“鉄の女”の死で英国の国論が二分
サッチャリズムは国民を幸福にしたか?

 4月8日、英国初の女性首相であった“鉄の女”、マーガレット・サッチャー氏が亡くなった。同氏の死に際し、有力メディアの1つは「愛情と憎しみの2つの感情を国民の間に引き起こした」と表現した。サッチャリズムによって英国経済が再生した一方、競争原理を中心にした政策で不幸になった人たちもいるということだ。

 確かに、サッチャリズムと呼ばれる経済構造改革には功罪の両面があった。1979年から90年までの11年間、サッチャー氏がリーダーとして経済構造の改革に取り組み、“英国病”と言われるほど経済低迷に苦しんでいた英国を再生したことは間違いない。その功績は決して小さくはない。

 一方、サッチャー氏が実施した改革によって、職を失ったり、生活が一段と厳しくなった人たちも多い。そうした人々にとって、“鉄の女”は決して評価に値する人ではない。それこそ、人々の生活をどん底に追いやった張本人ということになる。

 そうした状況を、英国のメディアでは、「死してなお、国を二分する」と伝えているはずだ。

 改革を実行することは、必ず「幸福になる」と感じる人と、今までのメリットを失って「不幸になる」と感じる人をつくることになる。問題は、社会の仕組みを変えることによって、長期的に幸福になる人の数が、不幸になる人の数を上回ることだ。サッチャー政権から始まった英国経済の復活を見ると、この改革が十分に価値があったと言えるはずだ。

 保守的な英国で改革を実践したサッチャー氏と、改革らしきことができないわが国の政治家を比較すれば、どちらが重要か答えは明らかだ。