比例区選出の私の場合は、支持者が北海道から沖縄までいます。会合があるとなれば調査交通滞在費から出すことになりますが、秘書と私と2人で移動し、会費を払うとなれば、すぐに10万、20万はかかってしまいます。他にも後援会長の身内に不幸があるだとか、突発的な事態もあります。

 当然、秘書や事務所スタッフにも相応の給料を払わなければなりません。選挙区があれば地元の秘書もいるし、車も用意する必要があります。日本は現在、公費で秘書を3人まで雇っていいことになりましたが、これでは陳情処理だけで手いっぱいです。政策を練るとなると、自分でお金をかけてスタッフを雇うか官僚に頼らなければならなくなりますから、国の政治のありかたが官僚主導型に戻ってしまいかねません。

 アメリカが政治主導を続けていられるのは、日本の参院にあたる上院の議員1人が雇用できる秘書の数に制限がなく、平均すると議員1人当たり40人の秘書を雇っています。そして、その費用は公費で賄われているのです。

 経済、福祉、外交などそれぞれ分野の専門スタッフを集めてチームを組むことで、自分たちで法律を作ることができます。

 一方、日本の場合は費用のやりくりに汲々(きゅうきゅう)としていて、政策の勉強に割くべき時間や労力が圧迫されています。実際、議員は零細企業の社長のような役割をこなさなければなりません。

――やりくりだけで精いっぱいということですね。

 そのうえ、パーティ券を買ってくれた人の名前まで明らかにせよという話になったら、誰も買ってくれなくなりますから、議員はお金を集める手立てがなくなってしまう。となると、もともとお金を持っている資産家や二世三世、特別なバックを持つ組合員などしか政治の世界に入ってこられなくなってしまうでしょう。

国会議員は“商社マン”ばかり…麻生派重鎮が語る「日本の政治」の問題点とは?山東昭子氏 Photo by Wataru Mukai

 女性政治家を増やすべき、多様性を豊かにしていくべきと言いながら、現在の政治とカネ、派閥を巡る議論はそうした流れに逆行しかねない状況になっているように思います。クリーンであることは大前提ですが、問題発覚の勢いに任せてやってしまうと、それが本当に国民のためになったのか、いい政治につながっているのか、という疑問も出てきます。

 もちろん、犯罪を犯すような人は別ですが、政治の世界は日本社会の縮図であるべきで、様々な背景を持った人たちが参画しなければなりません。それを「とにかくお金集めや計算が巧みで、きれいな使い方をする人であるのが第一条件だ」としてしまったらどうなるか。すでに議員の顔ぶれを見ても、かつてのような豪傑や器の大きな人たちがいなくなり、高学歴で身ぎれいな商社マンのような人たちばかりになりつつあります。

 商社マンが悪いわけではありませんが、優等生ばかりになってしまっては、できることも小さくなり、ひいては国民のためにもならない。議会は社会の縮図であるべきで、様々な性格、持ち味を持った、個性のある政治家がいていいはずです。