パリ五輪の開催で思い出す
歴代五輪選手の意外すぎる一面
さすが芸術の国、フランスらしい独創的な開会式で始まり、史上初めて「男女同数」のパリ五輪が開催されている時期に、おじさん雑誌『週刊文春』の編集長だった私が「不適切にもほどがある」過去の五輪選手との会話やエピソードをご紹介します。
五輪は週刊誌にとっては鬼門で、雑誌がでるころには次のメダリストが脚光を浴び、周回遅れの古臭いニュースしか出せません。そんなときでも売れるのは、選手同士の恋の話です。他誌ですが、一番驚いたのが「ヤワラちゃん」こと田村(現姓:谷)亮子さんが自転車の選手と選手村で愛を育んでいる写真が出たときです。独身ですから、まったく問題はないのですが、正直、それほど目立つとは言えない田村選手のコイバナには驚きました。
しかし、選手村は相当男女関係が盛り上がるらしいのです。野茂英雄さんもアマ時代、五輪に参加しました。メジャー入りしたあとオリックスの仰木彬監督との対談で、当時の様子を聞いてみました。野茂氏いわく「いやあ、選手村は若くて精力がありあまっている男だらけで、女性が少ないので、誰でもモテちゃうんです」。男女同数となったパリではどうなるのでしょうか。
もっとも、私はヤワラちゃんの魅力を彼女が中学時代のときに見ています。渋谷の東武ホテルのロビーで取材の待ち合わせ中、中学生らしき女性の団体がジャージ姿でじゃれあっています。その中に、きれいというよりは、圧倒的なオーラを放って目立った娘がいました。あとで、ニュースで「女子柔道のホープ」と紹介されているのを見て、「あの娘だ」とすぐわかりました。ヤワラちゃんの持つオーラがオリックスの美男子外野手・谷佳知選手を射止めたのでしょう。
また、私が申し訳ないことをした選手と監督が2人います。一人はアトランタ五輪で世界一の強豪・ブラジルの猛攻を完全に防いで「奇跡の勝利」をもたらした川口能活選手。週刊誌で連載をお願いしていたので、2002年の日韓W杯の壮行会で挨拶しました。
「あのー、私は正剛という名前で、あなたのライバル、楢崎正剛さんと同名なんですが、私は川口さんの味方ですからね」と言うと、ニコニコして、いや「正剛には勝ちますよ、絶対」と強気だったのですが、トルシエ監督に嫌われて出場機会はほとんどなし。レギュラーは楢崎正剛で、本人は出場していないのに毎週連載があるという、辛い目に遭わせてしまいました。