同じく星野仙一監督(ソウル五輪監督)とは、初対面でいきなり「木俣かあ、おれ、木俣(達彦・当時の中日の正捕手)とは相性悪かったんや」。案の定ソウル五輪は惨敗。雑誌で叩くと完売でしたが、この一件から「姓名判断は信用できる」という気にもなりました。
メダリストへの「無茶ぶり」も、当時のメディアの悪癖です。シドニー五輪では高橋尚子選手が金メダルの完走をした直後、ホテルに囲い込んで小出監督と対談していただきました。日曜にマラソンだったのに、締め切りが月曜。終わってすぐ対応しないと間に合わないので、他のマスコミ取材を無視して対談となったのですが、他メディアから大ブーイング。試合直後のコメントはどのメディアでも必要です。小出監督の尽力のお陰でしたが、高橋選手には申し訳ないことをしました。
有森裕子さんについては、婚約をスクープ(のちに離婚)して、記者会見のバックアップもしました。しかし、信じがたいセリフが新郎から。「I was gay」……会場は、どう言っていいかわからず、有森さんも沈黙したまま。聞けば、意志の強い彼女らしく、「そのことは知っていたが、私が治してあげようと思っていた」。当時のLGBTへの理解はみんなその程度でした。
文春のスポーツ誌『Number』は、愛好家によるナンバー駅伝を毎年開催していました。ゲストの有森さんはグラウンドに飛び出して、素人ランナーに伴走しながら、声援やアドバイスを次々と送ってくれます。それも、一人や二人ではなく数十人レベル。彼女の生真面目な性格がよくわかりました。
「ケガをした足を攻められなかった」
ロス五輪山下泰裕選手の美談はウソ?
そして、私が直接長く話をしたのは、ロス五輪直後の山下泰裕選手。片足を負傷しながらの金メダルでした。インタビューは1時間半くらいでした。当時、決勝戦の相手だったエジプトのラシュワン選手が怪我をした足を攻撃しなかったという美談が語られましたが、彼は否定しました。
「けがをした足を武士の情けで攻めてこなかったというのは誤解です。彼は何も遠慮しなかった。右足だけを攻めるというような卑怯な手を使うことなく、真っ向からいつも通りに堂々と向かって勝負してきてくれた。そのことこそが『フェアプレー』だったのです」
これぞ大人の返事です。当時、彼は27歳。同世代の私には、数十歳年上に感じるくらい堂々としていました。